みなさん、一所懸命、心に灯をともすということをしてると思います。
手相人相の話なんですけれど。
ところがですね、稀にですよ、100人に一人とか、ホントにそうすごい少ないんですけど、心に灯をともすことができない人がいるんです。
で、それは、どういう人ですかっていうと、たとえば手相見てくださいって来るんだけど、まったく人の話聞かない人がいるんです。
ずーっと、自分の話してる人とか、ノイローゼの人とか、心がおかしい人がいるんです。
で、そういう人はどうしたらいいんでしょう?って質問があるんですけど、これはどうにもならないんです。
なぜかっていうと、心に灯をともすということは、灯してもらいたいというお互いの意志があって初めてできることなんです。
だから、相手が灯して欲しくない人もいるんです。
そういう人っていうのに、うっかり構うと、ちょくちょく来るようになります。
来るってことはどういうことかというと、必ずその人に迷惑をかけにくるんです。
相手からエネルギーを取るために来るんです。
簡単なこというと、この宇宙の中心に、大日如来ってのがいます。
大日如来は二つの化身がある。
ひとつが、観世音菩薩、ひとつが不動明王。
観世音菩薩の方は慈悲の心ですから、相手に愛を与える。
心に灯をともしたりするんです。
皆さんがやってることは、それなんです。
でも、稀に、そうじゃなくて、いつも、たとえば私が
「あなたは、こういうふうにしたほうがいいですよ」
「それはできないんです」とか、必ず反対意見言う人がいるんです。
この人を救ってやろうというんじゃないんです。
そういう人が来たら、お不動様になって、「あなたはうちに来ても、もうダメだからよしなさい」って。
たとえば「ありがとうって、いっぱい言うといいよ」って言っても
「ありがとうはいいたくないのよ、言わないわよ」
「心がともなってない」とか
「そんなこと言ったってしょうがないじゃないの」
とか、そういうこと言うんです。
そういう人は切っちゃわなきゃいけないんです。
じゃないと、あなたのエネルギーが奪われるし、お店の環境が悪くなるし、そこへ来てる人に悪い影響を与えるんです。
ホントに稀なんですけれど、そういう人がいるんです。
で、もう一つですね。
この世の中っていうのは、『うれしき・たのしき・ありがたき』っていう言葉があるんです。
これを、三つの『き』で『おみき』っていうんです。
神様におみきを与える『うれしき・たのしき・ありがたき』
嬉しいなあ、楽しいなあ、ありがたいなあ、ありがとうっていうことだよね。
平坦にいうと、ありがたきっていうのは、ありがとうっていう意味なんです。
今起きてることに、いい事が起きたとき、「あぁ、ありがたいな、嬉しいなぁ」とかっていうと、もっといい事が起きる。
で、悪いことが起きたとしても、『うれしき・たのしき・ありがたき』っていう、呪文と同じですから、それを唱えてると『災い転じて福となす』
ところが、今、いい事が起きてようが、普通に起きてようが、不平不満ばっかし言ってて、ありがとうも言わない。
そうすると、いい事が悪いことになる。
悪いことが起きると、さらに悪く言うんです。
そうすると、悪いことが、大悪になっちゃうんです。
災いが、大災いになる。
どっかで、人っていうのは、今の環境でもね、食べられるだけ幸せだとか、日本に生まれて幸せだなとか、魚食べられて、漁師の人たちありがとね、なんか感謝してみようって、上に上にあがっていく。
で、不平不満言ってると、悪いことが起きるんです。
悪いことが起きると、また不平不満を言うんです。
そうすると、もっと悪いことが起きる。
ドツボの如く悪くなってくるんです。
どんどんどんどん、自分を追い詰めて自分を不幸にして、やがて自殺しちゃう人もいるんです。
そうすると、また生まれ変わって、途中から出て、中間から、良くも悪くもないところから始まるんです。
人は、感謝の念を持って、『ありがたいね』とか『うれしいね』とか、こういう言葉をどんどんどんどん発すればいいんです。
これは、呪文なんです。
心が、伴わなくてもいいんです。
『はじめに言葉ありき』
それで、神事をやっている人というのは、『はじめに言葉ありき』だって事を知ってるんです。
「心伴え、心伴え」っていうのは、道徳論者なんです。。
神事とは、呪文をいうことから始まるんです。
キリストも釈迦もみな言ってることは、『はじめに言葉ありき』
嬉しいなんて思いなさいじゃないんです。
思わなくてもいいから、口に出すんです。
そうすると、だんだん、思ってくるんです。
だから、あなた幸せだねとか、ありがとうねとか、ありがとうをいっぱい言いな、って言っても、それをしたくないんです。
したくない、っていうのは、神事じゃないです。
心伴うんじゃないんです。
心から入りなさいじゃ道徳なんです。
神事とは、言葉から先なんです。
わかります?
お経でもなんでもそうなんだよ、お経、全部理解して言ってるんじゃないんだよ?
言うところから始めるの。
こころ伴わなくてもいいの、言ってるうちに必ず心が伴うんです。
キリストも言ってる。
『はじめに言葉ありき』
で、教えてやってもやらない人がいたら、うちとは縁のない人です。
その人はその人の修行の場があるの。
もう少し、いろんなこと体験して、苦しみたい人っていっぱい、いるの。
で、ホントに苦しんで苦しんで、嫌になったとき、「私は苦しいんです」っていっても変えようとしてない人がいるんです。
苦しいんだっていっても、変えようとしてない人は、大して苦しくないんです。
ホントに苦しかったら、なんでもしますっていうんです。
それを、「こういうふうにしなさい」っていうと、「こういふうにしたくない」
「あれしなさい」っていっても、「あれもしたくない」
その程度は、苦しんでないんです。
人間っていうのは『悩み即菩提』っていうの。
悩めば、なんとかしようと思うんです。
行動を変えるんです。
で、行動を何も変えないで、助けてくださいっていっても助からないんです。
まず、難しくないの、言葉から変えな。
それでも変わらない人がいたら、縁のない人なんだよ。
うちには縁がないから無理ですね、他所いったほうがいいですよ。
そういう人を、どうやって救ってやろうなんて思っちゃダメです。
受け取る気がないんですから。
電気を点けて、光を(灯り)をともしてあげようとしても消す人がいるんです。
「点けないでよ、明るいの嫌なんだから」って消す人がいるんです。
ホントに少ないですよ?。
少ないけど、います。
そういう人に対する、対処方法を覚えてください。
そういう人に関わってると、あなたの灯が消されちゃいますよ。
そうしたら、他人に灯をつけてあげることが、もうできなくなっちゃうんです。
暗いのが好きな人は、まるかんに来ちゃいけないんです。
わかりましたか。
以上です。

【斎藤一人さん】神事は呪文から~はじめに言葉ありき
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