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天皇のロザリオ(下)/鬼塚英昭【本要約・ガイド・目次】

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天皇のロザリオ 下巻:皇室に封印された聖書

これまで「戦後日本のタブーを暴いた!」と宣伝されてきた本は数多くあるが、この「天皇のロザリオ」ほど日本言論界に衝撃を与える本はないだろう。戦後日本の真実を探求する人々にとって「必読の書」であると私は断言する。戦後まもなくの占領期、日本をカトリック教国に仕立て上げる謀略があった これまでほとんど語られることがなかった、このアメリカによる究極の「日本改造計画」の秘密を本書の著者鬼塚英昭氏は、民間人に入手できる限りの史料・文献を調べることで白日の下にさらしている。昭和天皇、マッカーサー将軍、トルーマン大統領、ローマ法王ピオ十二世、そして「オプス・デイリーさまざまな登場人物が繰り広げる暗闘。鬼塚氏はさながらミステリー小説の書き手のように少しずつ種明かしを行ない、ついに謀略の“動かぬ証拠”をアメリカの公文書である「ロイヤル文書」(本書第十章)の中に発見した。
この「宗教ネットワーク」が戦後日本の政治に与えた影響、登場人物の間の緊張関係を、鬼塚氏は一切の“タブー”を排して史料に接することで描ききった。この本は日本版「ダ・ヴィンチ・コード」(エンペラー・コード)と言っても過言ではない。――宗教が政治と結びついたとき、そこに生々しい権力闘争のドラマが生まれるのだ。
[中田安彦『ジャパン・ハンドラーズ』著者]

目次

第八章:日本カトリック教国化への道

・カトリックの正体
スペルマン枢機卿の来日
・天皇、カトリックへの帰依を迫られる
・スペルマン枢機卿は何を狙ったか
・かくて「日本カトリック教国化」の準備完了

第九章:キリスト教伝来と日本の危機

・ザヴィエルとイエズス会の秘密
・キリシタン大名と硝石

「キリシタン一揆」については異説がある。八切止夫の「八切日本外史」から引用する。

”真相は「フロイス日本史」にもあるように、「原城は口ノ津といったイゼズス派の本拠地」であったし、また戦国時代から「イゼズス派教会の者らは、彼らの神の教えを説きて来ていたが、布教の費用をひねり出すために、日本では一粒も産出せぬ火薬の硝石を持ってきて(略)横文字の教義も読めず説教を聞いても何も判らぬ者が、硝石ほしさにドリチェナキリストアンとだけ唱え、それでも切支丹大名とよばれていた」といった有様だった。さて口ノ津は、硝石と交換にイゼズス派が入手していた彼らの治外法権の場所。それゆえ、一揆は火薬入手したさに襲撃して、口ノ津の原の古城の倉庫番やその奴隷を殺したので、オランダのカビタンは、神の名において仕返しをするため協力したいと申しでてきたというのである。”

三万七千人のキリシタンが殺されたと日本のキリスト者は語り継ぎ、疑問を呈さない。しかし、この点についても八切止夫は続いて書いている。

”この話の裏書できるのは、「山田右衛門なる画師ひとりのみが投降してきて助命されたが、その者が城内で見てきた族というのを画かせた」とする証拠が、(略)まことに可笑しな話だが、カトリーコとプロテスタントの二種の旗がまじっているからである。
ヨーロッパでは共に天を載かざる仇敵どうしとし、互いに国をあげて殺掠しあっている
のが、いくら東洋の九州片隅であれ、双方の旗をたてて、両者が力を合わせて抗戦することはありえないし、また今日伝わるように、三万七千から五万に及ぶ女子供までが、「主のおんために」みんな死んだものならば、世界中他に例のない話ゆえローマ法王庁の記にも残るべきなのに、ぜんぜんその記載が見つからぬ事実、島原の乱に関しては一行もで
ていない不可思議さも、これならばときできるし判るというものである。”

柳父章の「秘の思想」とは別の角度から、八切止夫は書く。八切はキリシタン史研究のためにヨーロッパに長年行き、研究した作家である。八切は、「つまり松平伊豆守が、局地解決として他へ反乱を波及せぬよう、一部だけの者に切支丹を巧く利用、政治的発表をなしたのだろうと、解釈するしかないようである」と島原の乱を解釈する。私は八切の説は正しいと思っている。「ドリチェナキリストアン」は、「ドリチナ・キリシタン」とも表記される。「讃えんかな神の御名を」で、「アーメン」である。

アフリカの黒人たちを奴隷としてアメリカに送り出していた海岸は、黄金海岸。 とよばれた。日本の女性たち(一部男性も)を海外に送り出した海岸を、イエズス会士たちは"白銀海岸。(シーサイド・シルバー)とよんだ。

山田盟子は「ウサギたちが渡った断魂橋(どわんほんちゃお)」の中で次のように書いている。

”キリシタン禁教の前に、たくさんの庶民が、硝石の物納として、つまり奴隷にされて海外に移出されましたようです。"白銀海岸"から送りだされたからゆき男女は、この奴隷が初まりであったのです。日本は鉄砲は真似して作れても、火薬の硝石がなかったのです。その時期に「ドリチナ・キリシタン」と、取持役の日本人イルマンの口移しで、諸大名が洗礼を受けたのも、みんな火薬の硝石欲しさで、これがキリシタン大名の実像だと八切氏は私に語りました。本職とした歴史畑の人々が、こんな事実にあまりふれてなかっただけに、二昔も前にこのことをきかされた私はびっくりしたものでした。”

山田盟子は八切止夫と会い、「倭寇におとらぬような存在で、マカオにイエズス派の、キリスト戦闘団がありましてな……硝石をにぎっていましてな……」と教えられる。日本の御用学者たちは、天皇とヨーロッパに都合の悪いことをほとんど書かないように飼い馴らされている。だから真実は伝わらない。山田盟子は次のようにも書いている。

”このことでは学者の森克己氏も、こう述べています。
「中世の依窓については、史料が日本側に残されていない。ただしポルトガルが渡来すると、日本人、朝鮮人が奴隷として海外に輸出された。天正十五年(一五八七年)に発した人身売買禁止令は、かかる場合に対する応急処置であった。鎌倉期すでに専門の人買勾引が、諸国に市をたて、「人売禁止」の法がでても、戦国期における辺境の諸大名は、伊達や対馬の宗のように人売公許という分国法があった」”

私はレイス・アルメイダについて少しだけ触れた。もう少し触れたい。山田盟子の本からの引用を続ける。

島原にポルトガル人のレイス・アルメイダが来たのは、おうら(からゆきさんの一人)らが記録にのる六十四年も前のことでした。それより十数年も早くに、すでに鹿児島にはポルトガルからザビエルが来ておりました。島原の口ノ津の資料によりますと、アルメイダは来るなり二週間の伝道で、二百五十名も洗礼をしたこと、前年は島原のお殿様である有馬義直が、口ノ津開港と同時に、実弟の大村純忠を通して、イエズス会の宣教師の派遣を乞うたとあります。
「人売禁止令」のでる二十年前の永禄六年(一五六三年)に、島原の有馬城主のみならず、他地方の諸大名も、いっせいに「ドリチナ・キリシタン」をやらかしたのは、戦国期に生き残るための石が欲しくてでした。したがって交換の人売も各所で行なわれ、"白銀海岸"は島原の浜だけではなくもっと他藩の海岸もそうだったのではないでしょうか。ひょっとして口ノ津に上陸したバスク人のアルメイダなど、イエズス派の者でしたから、豊後に施療院、孤児院を開いたかと思うと、口ノ津、博多、肥前、名護屋をへて平戸へ、口ノ津、島原、豊後、堺というように、その足は真の布教なり、諸大名にとり入っての石契約が主のようでした。

さて、次に、鹿島昇の「昭和天皇の謎」の中の一文を紹介する。鹿島昇は孝明天皇暗殺を実記した作家である。私は彼の本を読み、孝明天皇を暗殺したのは伊藤博文であるとの確証を得た。このことはすでに触れた。

”ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になった。信長のキリシタン擁護が腰くだけとなったため、宣教師は明智光秀に新式火薬を渡して、信長殺しに成功するが、そのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは朝鮮征伐には火薬を供給せず、そのために秀吉の外征は失敗に終る。しかし、このとき国内にいて火薬を温存させた徳川がのちに政権をとることができた。家康は火薬の流入が日本に戦乱をひきおこしたことを十分承知しており、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものでなく、火薬流入の禁止であった。”

八切止夫「天の日本古代史研究」の巻末で、鹿島昇と八切止夫が座談会(「天の王朝の謎」)をしている。この中で鹿島昇が八切に問い、八切が答える場面がある。

八切:あの頃は車もテレビもなく、ただ人間だけが輸出品。堺の納屋衆とよぶ倉庫業者
は、売るための人間を縛って入れておく納屋です。それ以外に輸出倉庫など必要ですか。鹿島:堺は奴隷商人の町なんですね。
八切:ちょっと脱線しますが、アフリカに黄金海岸がありますね。バチカン法王庁へ行くと日本の三角湾にシーサイド・オブ・シルバー、つまり白銀海岸と書いている。白砂のような火薬原料の日本には産出されぬ硝石を持ってくるんです。戦国大名が引っぱり凧ですから、これが当時のいう切支丹大名。硝石さえ持ってくれば代償に男でも女でもいくらでも奴隷と取り換えられるからでしょう。(略)魔女狩りのときには、ヨーロッパ女性はずいぶん減ったから、魔女裁判をやったラリンケ判事の、魔女審判裁定書の中にも、「東洋へ硝石さえ持っていけば、女はいくらでもくれる」と書いている。

それでは八切止夫の「庶民日本史辞典」を見ることにしよう。日本の大学の教授どもは全く勉強したあとが見えないから仕方がない。鹿島昇の説はこの本からきている。

辞書もなく通訳もいなかった戦国大名が、片っ端から洗礼をうけたのも硝石入手したさの一心でした。徳川家が天下をとると、自家以外に硝石が渡っては危険だと、まず硝石を持ちこんでくる宣教師の追放を、ついで日本人の往来をも厳禁。島原半島の突端の口の津にある原の古城を硝石倉庫にしていたのを狙い、小西浪人らに率いられた土民が奪取。その硝石に硫黄と木炭をまぜて火薬を作成。舐めて掛った幕府軍は苦戦しました。それゆえ局地的解決をして女子供まで全員みな口封じに殺してしまった後は、長崎に出島を築き輸入は徳川家のみと限りました。が以前にバテレンやイルマンに近づきのあった者らが、石密輸の仲介をするのではないかと警戒して、切支丹狩りをはじめましたのでしょう。つまり硝石改めが宗門奉行の任務ゆえ、謀報取締りの大目付と、硝石庫支配の作業奉行が兼任していたのが、貞享年間までのあり方だったのでしょう。

硝石という面から見るだけで、日本の従来の学者たちが日本人に教えてきた歴史とは何であったかが分かろうというものである。
鹿島昇は、明智光秀が織田信長を殺したという説を立てる。しかし、八切の説はちがう。八切は、一五八二年十一月五日付のルイス・フロイスのマカオ宛報告書「日本ゼズス会年報」を自ら翻訳している。彼の「信長殺し、光秀ではない」からの引用である。

”当都(何処か不明・九州の口の津か)において日本の至宝(信長)がなくなったといい、日本人自身の手で葬り去ったのだと喜んでいる者さえいる。天においても勝るものはないと考えられていた人物が、かくのごとく信長は、不幸にして哀れな死をとげ、彼におとらず傲慢であった明智もまた同じく不幸な終焉をとげた。だが前述した通り、信長がまれなる才能を有し、賢明に天下を治めた事は、これは確かな事実であって、哀れ彼は、その傲慢さの為に身を滅ぼしたのである。毎日、新しい事が起っているが、あまり長くなるので、つぎの季節風期に譲。われら一同、尊師の聖なる犠牲において推薦せられ、また祝福をうけんことを願い奉る。”

八切はこの文書について解説している。

この日本人が読んでも抵抗を感じさせない書きぶりは、なんと言ったらいいのだろう。信長の死を喜んだことを冒頭で匂わせながら、続いては、さも同情的に、また尤もらしく書いている筆致は、如何に解釈すべきなのだろうか。再言すれば、信長はマカオよりの火薬を入手したさに、初めの内こそ天主教にはシンパであった。しかし、この時点に於ては、彼は既に偶像崇拝者。といっても、単なる仏体や神体を拝むのでなく、自分こそ天帝であると、師父たちのとくイエス・キリストを凌駕する至上の神に、自分はなっていたのである。

八切止夫の説を詳細に書くのが私の目的ではない。要点のみを記す。
信長を新しい黒色火薬でイエズス会の連中が、「吾々が知りえたところでは、信長は髪毛一本残さずに、その遺骸をふっとばしてしまった」(カリオン報告書、「信長公記」のポルトガル訳の本)とする。詳細を知りたい方は新書版が二〇〇二年に出たので読まれるがいい。私は、八切の説が正しいとのみ記す。
仏寺を破壊したことで異論はあろうが、真の日本民族の解放者の信長は殺された。異国のキリスト教徒にだ。黒色火楽によってだ。
奴隷売買はなくなったのであろうか。「キリシタン禁令」が出たのだから。
奴隷を売ることは、商品としての人間を安く手に入れればよいのである。山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』にあるように、江戸時代から明治・大正・昭和の敗戦時まで、多くのからゆきさんたちが海を渡ったのである。イエズス会の真似を、今度は幕府が、そして明治・大正・昭和の政府が行なったのである。彼女の本を引用する。

”からゆきさんの多勢が、島原から出かけだしたのは、口ノ津が三井の船への石炭の補炭ならびに、石炭の輸出港となった明治十一年五月からといえましょう。三池炭田の開坑によって、口ノ津に出入する外国船が倍増してまいりました。大型の外国船は港外で石炭の積み込みをしました。その頃のシンガポールの輸入品を、現地で私も調べたことがありますが、向う側の輸入品の一位は石炭で、それは年を追うごとにふえつづけ、明治の末には中期の約十倍、大正末には中期の三十八倍でして、日本の密航婦と石炭輸出は切ってもきれない仲にありました。
島原の子守唄にうたわれております、青煙突のバッタンフールが、この石炭輸送船もふくめました異国船でした。

日本は明治に入り、富国強兵をスローガンとする。シンガポールは英国の植民地で、その英国人は英国国教会の人々。カトリックのイエズス会と非常に近い。硝石はチリから入るようになったが、英国に石炭と密航婦を売りつけ、ポンドを得た。そのポンドで日本は、鉄と石油とゴムを主に輸入した。その鉄と石油とゴムで清と朝鮮に攻め込んだ。それからアメリカに眼を向けた。片山潜というコミュニストを欺して味方につけ、アメリカ行きの男と女を大量に放り出した。これは一種の棄民で、奴隷と同じだった。
昭和天皇独白録」を読むと、大東亜戦争がどうして起こったかが分かる。(寺崎英成資料による)本篇の独白録の最初の記録は一九四六年三月十八日(月)午前十時十五分より午後零時四十五分となっている。この本の第一巻の最初は「大東亜戦争の遠因」となっている。したがって、三月十八日の天皇の発言であろう。

大東亜戦争の遠因
この原因を尋ねれば、遠く第一次大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し、加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたことも亦然りである。かかる国民的憤慨を背景して一度、軍が立ち上った時に、之を抑へることは容易な業ではない。

ここで「加州移民拒否の如きは……」に注目したい。一九二四年(大正十三年)五月、アメリカは「排日移民法」を決定する。
大正十三年は、昭和天皇は皇太子であったが、大正天皇は病重く、摂政として、天皇としての仕事をしていた。アメリカの移民法案ができたため、日本人は欺されて行かなくなってよかったのだ。どうして戦争の遠因となったのか。答えはいたって簡単なのだ。天皇が日本郵船の大株主であったからだ。一人の棄民(あえてこう書く)、一人の奴隷(あえてこう書く)、一人の部落民(あえてこう書く)をアメリカに送るたびに、天皇は大金を儲ぎに儲いだ。
「生めよ増やせよ」と天皇の政府は民草を煽った。多くの難民と奴隷と部落民が太平洋を渡り、男は鉄道工事やタマネギ栽培にかりだされた。女たちの大部分は女郎屋に入れられた。このことはすでに書いた。たった数十年前の日本の姿だった。かくて戦争が起こった。

・世界史に見るキリスト教の恐怖

ポルトガル王のジョアン三世がローマ法王に進言している言葉の中に、キリスト教の恐怖が見えてくる。

ジパングは火薬一樽と交換に五十人の奴隷(肌白くみめよき日本娘をさす)を差し出します。神の名において日本を領有すれば、献金額を増やすことができるでしょう。
(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」)

こうして、五十万を超える娘たちが、キリシタン大名らを通して売られた!
日本をカトリック教国にしようとする動きは、ザヴィエルが日本に来た四百年前からすでにあったのである。
大航海時代の一時期、航海者たちはローマ法王に「異教徒は人間なのか」と問い合わせ続けた。法王の答えは一定していた。
「殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する」
したがって、「肌白くみめよき日本娘」はキリスト教徒でないがゆえに人間ではない。ポルトガル王ジョアン三世の、「ジパングは火薬一樽で五十人の奴隷を差し出します」の言葉となる。ジョアン三世は日本娘を人間と認めていない。キリストの言葉と同じである。
十五世紀から十九世紀の約四百年間、アフリカの黒人は奴隷貿易で六千万人以上が連れ去られた。
例を挙げよう。アメリカの一つの島だ。キリスト教徒たちは現地を征服する。そこで原住民を皆殺しにする。その後にアフリカ奴隷を入れて労働させて、利潤を上げる。これが資本主義の原理となった。かくてアメリカの原住民のほとんどが皆殺しにされた。

私は少年のとき、ジョン・ウェインの西部劇を観ていて、涙を抑えきれず映画館を飛び出たことがあった。後に私はアメリカ残酷物語を知るようになった。
インディアン、それは原住民だ。彼らが殺され続けていたのだ。一八八〇年のアメリカの国勢調査では、六千六百人のインディアンが記録されている。十九世紀のはじめには百万人以上のインディアンが生き残っていたのである。一世紀もたたぬうちに百万人以上の原住民を殺すキリスト教徒を想像しなければならない。
「殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに通用する」。法王の言葉だ。

キリスト教は、これを信じるほんの少数の人々にとっては寛容であるが、これを信じない大多数の人々には非寛容ではないのか。
日本のキリスト教徒だけは例外なのか。
ザヴィエルが日本に来たころ、ポルトガルとスペインは海外に利益を求めていた。拡張主義である。この主義は必然的に戦争を誘発する。未開の土地は一方的に侵略され、植民地化される。ザヴィエルは、ポルトガル王の先兵隊の役をこなしたのである。
法王庁の「黒い貴族」(この言葉は黒い衣服のカトリック高官から生まれた)たちは贅沢三昧がすぎて財政難となり、フィレンツェの金融業者たちと結託して大金を儲けようとした。
こうして、法王庁と国際金融家たち(ほとんどがユダヤ人)の癒着構造が生まれた。ザヴィエルはこの組織が海外に送り出した先兵隊の一人であった。
ザヴィエルは「人間はみんな罪人である。その罪を願うために、イエス・キリストは十字架上で死んだ」と東洋で触れ回った。
そう、ザヴィエルは罪人である。国際金融家たちの先兵となり、日本の神社・仏閣を破壊し、みめうるわしき乙女たちをアフリカの果てまで売り払った罪のさきがけであったのだから。しかし、私は問いたいと思う。
「どうして私たちが罪人なのだ!」
二千年前に砂漠の地で死んだユダヤ人のイエス・キリストと私とは、何の関係もない。勝手に罪人だなどと言わないでほしいものだ。海外に出兵し、「異教徒だ」という単純な理由だけで殺すことができたキリスト教徒たちだけが罪人なのではないのか。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントも含めて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた「五十万人の悲劇」を、火薬一樽で五十人の娘が売られていった悲劇を、どうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神社・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。
カトリック教義の決定権をローマ法王が持つ。また、教義に逆らえば、法王の直属の宗教裁判所がある。それゆえ、法王に逆らって、大量虐殺の日本の歴史をカトリック信者の日本の作家たちは書けないのか。
こうしてキリスト教徒たちによって世界は無秩序となり、無制限な欲望が誕生してきたのである。

英国王室の先祖は「海賊」である。彼らはそれを誇りとする。カトリックの法王は略奪を繰り返したスペインとポルトガルの王たちや、国際資本家たち(主としてマラーノ)から金銀を受け取り、権威を維持してきたのである。
数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があればの話だが。

日本のキリスト者としての聖者のごとく語られている賀川豊彦は、「天の心地の心」(一九五五年)の中でザヴィエルについて書いている。

”私は一九三九年十二月二日、コロンボに上陸して、ザヴィエルの壮図を偲び、東洋伝道のために心から祈ったのであった。彼は三十六歳から十年間にこの大旅行を三回まで敢行している。実に伝道者として称賞に値するその冒険的精神は、リビングストンをのぞいてザヴィエルの他に見ることができない。日本は今、敗戦のただ中より、再建すべき重大な使命をもっているが、こうした精神の源に遡って、確乎たる歩調を踏み出す必要があると思う。”

ザヴィエルを通して日本は精神の源を通るべきだと賀川は強調している。ザヴィエル関係の本を読むと、ほとんどの本はザヴィエル礼賛に尽きている。賀川は、ザヴィエルが日本で何をしようとし、その結果、イエズス会士と奴隷商人たちが手を組んで、日本娘を海外に売った事実など、どうでもいいのであろう。ただただ、キリスト教という有り難い教えを日本に伝えた人として、ザヴィエルを聖者とみなすのである。

一八五三年(嘉永六年)七月八日、マシュー・C・ペリー提督が江戸湾に四隻の黒船で来た日、江戸の人々はパニックに襲われた。ペリーは江戸幕府に、フィルモア大統領の国書と「白旗」二を贈った。その国書の中に、「国書の受け入れを拒むならば、天理に罪をただすために戦闘をはじめる。戦闘になれば、文明のわれらが勝ち、それゆえ、和睦を乞うならば、この白旗を立てよ」。すなわち、無条件で国交を開け。さもなくば「白旗を立てて」降伏しろという脅しであった。

三輪公忠の「カナダと日本」「隠されたペリーの「白旗」」、松本健一の「白旗伝説」に詳しく書かれている。
このとき、ペリーは、次回には「さらなる大きな軍勢を引き連れてやってくる」と脅しをかけた。そして翌年、大量の武器を携えて再び江戸湾に姿を現わしたのであった。日本は近代産業と軍事力を育成しなければ「国が滅ぶ」という危機感を募らせた。そして、一八六八年、徳川幕府から明治新政府へと実権が移っていった。
ペリーは帰国、膨大な公開記録の整理を当代一流の人気作家で「白鯨」を書いたメルヴィんに依頼した。彼はその依頼を断ったが、「白いジャケット」の中で、ペリーの精神を見事に書いている。

私たちアメリカ人は、特別な選ばれた国民である。現代のイスラエル人である。(略)私たちはまだ試みられていないものという荒野を通って、前もって送られ、私たちのものである新世界に新しい道を切り開く世界の先駆者であり、前衛である。

ここにみられる思想が「マニフェスト・ディスティニィー」(明白なる遺命)といわれるものである。この思想は、歴史の浅い国アメリカの劣等感の裏返しではないかと私は思う。アメリカは集団無意識の中で非合理性を「アメリカ文明の信仰」の域まで拡大していくのである。

ペリーは帰国後、数多くの報酬と名声を得た。アメリカ海軍がなした砲艦外交の勝利ゆえであった。彼はニューヨークの商工会議所で、「この強大な帝国(日本)を国際社会の一員にし、さらにその上、これをわれわれの宗教の恩恵下におく事業は、まだ、ほんの始まったばかりである」と演説した。ペリーの砲艦外交により、日本人の平和な生活は徳川二百五十年でついに狂いだした。

ペリーの「われわれの宗教の恩恵の下におく事業」とは、日本をキリスト教国化せんとする国家事業のことである。マッカーサーがミズーリ艦上に、ペリーのサスケハナの旗をわざわざ海軍から取り寄せて飾ったのは、まさにそういう理由に拠ったのである。

最初のアメリカ領事のタウンゼント・ハリスはペリー提督の推薦で、一八五六年六月に下田に到着した。ハリスは、長崎を補給港として使用する権利、下田、函館における永久居住権、そして、後に明治政府を悩ませることになる治外法権を獲得した。そのハリスが、イギリス公使のサー・ラザフォード・オルコックに次のような手紙を書いている。

”私は将来、歴史の一ページに、東洋世界の一カ所においては、キリスト教文明の到来が通常もたらす略奪や流血がなかったという偉大な事実が記録されることの希望を抱いている。しかし今、この希望はくじけようとしている。私はこの平和な国民と幸福な土地に戦争の悲惨さがふりかかるよりは、この国との条約をすべて引き裂いて、日本がもとの孤立に戻る方がいいと思う。”

ハリスは、近い将来の日本の悲惨を予言していた。まさに、ハリスの言う「キリスト文明の到来」によって、略奪と流血の世界に日本は入っていったのである。一九四〇年、太平洋戦争の前夜、W・M・ホートンは「キリスト教は文明を救いうるか」を世に出した。

”日本は内的な危機が敗戦によって文化の中心に迷いが出じ、模索と苦悩に出会ったときにのみ、キリスト教の偉大な文化創造の機会を持つことができ、日本文化は国家主義の殻を破って世界文化の一部になる機会に恵まれるだろう。”

まさに、ハリスの幕末の予言も、ホートンの太平洋戦争前の予言も的中したのである。
対日講和条約の主導者、元国務長官のジョン・フォスター・ダレスの母方の祖父であり、国務長官を務めたJ・W・フォスターは一九〇三年、「東洋におけるアメリカ外交」の中で、「中国の儒教層の勢力を打破する必要がある。さもなければ、中国は決してキリスト教国にならない」と書いた。そして、中国の儒教勢力を打破するために、宣教師を保護するという名目のもとに、砲艦外交を堂々とやれ、と主張したのである。この本をマッカーサーは読んでいたであろう。

日本は調子に乗せられ、日清、日露戦争を仕掛けられ、ついに真珠湾を攻撃するよう、巧妙な罠にはまる。太平洋戦争はまさに、アメリカの砲艦外交そのものであった。その目的の一つが、世界中にキリスト教文明を広めるという、ハリスが予言した「略奪と流血」化なのである。
太平洋戦争は、単に軍事的、経済的な面から論ずべきではない。マッカーサーのミズーリ艦上の演説のごとく、「神学的」な面、すなわちキリスト教の面から論ずべき問題なのである。
日本をキリスト教国化しようというマッカーサーの野望は、単にマッカーサーの野望ではなく、西洋の野望でさえあったのである。

宗教学者の阿部美哉は「現代宗教の反近代性」の中で、ペリー来航を描く。

ペリーが欧米世界に悪名の高かった日本のキリスト教禁制を承知の上で、航海中に死亡したアメリカ水兵の葬儀をわざわざ日本の領土においてし、キリスト教会で盛大に執行した。そしてハリスが居留地におけるアメリカ人キリスト教徒のためのキリスト教会の建立および宗教活動の自由を強硬に主張して、日米友好通商条約へこれらの条項を導入したことは、アメリカのマニフェスト・ディスティニィー、ないし、より広く見れば西欧列強の帝国主義が、伝統的日本社会の制度とエートス(精神)を力で圧倒したことを明示している。

阿部とは少しニュアンスが異なるが、フロイト学者の岸田秀は、「日本はペリーにより強姦され、やがて和姦へと変化した。日本は強姦されたのに、最後まで抵抗せず、いやだ、いやだと言いつつ、アメリカという男にサービスし続けた」という説を立てた。それゆえ、岸田は「アメリカに迎合し屈従する外的自己と、アメリカを憎悪する内的自己とに分裂した」とも説くのである。
岸田の意見は正しいと私は思っている。だから、岸田は、近代日本、および日本人は精神分裂病患者なのだと言う。ペリーについて書いた文章の中で、特に興味深いのは、猪瀬直樹の「黒船の世紀」の巻末の数行である。

”満州事変の仕掛け人で「世界最終戦争論」の著者石原完爾(元陸軍中将)は極東軍事裁判のアメリカ人検事に「平和に対する罪」を問われて、こう開き直った。「ペリーが来航しなければ日本は鎖国の中で、充分に平和だった。裁くなら、ペリーを裁け」”

・「東洋のパウロ」マッカーサー

博物学者にして小説家の荒俣宏の数多い作品の一つに「パラノイア創造史」なる怪奇物語がある。その序文を見てみよう。

”明治四年、世界周遊旅行の途についた岩倉具視全権大使を代表とする遺欧使節団は、実に圧倒的活力をもって米欧の文化を見てまわった。その一部始終は、随行記者であった久米邦武の「特命大使欧回覧実記」に詳しい。しかし、かれらの世界一周体験のうちに、ふしぎや「狂気」への関心が籠められていたことを発見するにつけて、われわれはある種の驚きに打たれる。たとえば、一行はサンフランシスコで、最新式設備を誇る巨大な精神病院のことを耳にする。予定十ヵ月の日程を倍の一年余に延長するほどの旅であったから、かれらは計画表なぞ無視して、さっそく病院に見学におもむく。かれらを驚嘆させた見聞のひとつは、病院に収容された病人の数であった。つごう千五百人といえば、人口十五万のサンフランシスコ市民にとって百分の一の数にあたる。この大都市では百人に一人が狂人なのかと一行は慄然とする。この事実が議論の対象となって、かれらは意見をたたかわす。「こうなると、牛羊(けもの)を食う習慣を日本に持ちこむのは考えものだな」と。しかし、皮肉めいた嘲いを浮かべるのはまだ早い!牛羊を食うことを、大都市市民の狂気の源泉と見るのは、冗談めいているからだ。だが反面、それは重大な心理にも触れた見解でもあった。新しい刺激、見も知らぬ事物、そして体験。日常がそこで破綻したとき、われわれは錯乱と対面する。”

荒俣のこの序を読むと、ひとつの事実がくっきりと浮かび上がってくる。彼ら遺欧使節団は西欧と米国を巡って、「うすら寒い直感が芽ばえて」日本に帰ってきたことである。ヨーロッパの狂気がやがて日本にも伝染するであろうと彼らが思ったとしても、何ら不思議ではない。
彼らが見た狂気ゆえに、日本に新しい狂気が生まれてきたのである。
キリスト教は異教とされ禁止されていたのに、急にこれを認めたのも、岩倉一行の使節団の判断によった。明治期のキリスト者山路愛山は「現代日本教会史論」の中で、「日本人民の覚醒」について興味ある考察を行なった。

維新の革命を以て単に政治機関を改造し、政治の当局者たる人物を変換したるものにすぎずと思はば反相の見解なり。維新の革命は総体の革命なり。精神的と物質的とも通じての根本的革命なり。政治と云ひ、社交と云ふが如き一部の革命に非るなり。

山路愛山が書いているように、日本史上の革命であった。ここでは、キリスト教という一つの言葉をもとに、日本に起こった大革命の一断面を見てみたいと思う。
神島二郎の「天皇制の政治構造」の中に、明治以降最高のキリスト者といわれる内村鑑三の話が書かれている。

”「あなたはキリスト者として信仰があって、非常に幸福だ」と言われた内村は「とんでもない話だ。私がいちばん後悔しているのは三つあって、一つは生れてきたことを後悔している。二番目はアメリカにいってきたことを後悔している。三番目はキリスト者になったことを一番後悔している」と答えたという。”

内村鑑三は「日本国の大困難」(一九〇三年=明治三十六年)で、「日本人がキリスト教を採用せずに、キリスト教的文明を採用したことが、日本最大の困難となった」と書いている。この内村の歴史観は、彼のキリスト者たちに受け継がれて、よく引用される。しかし、この歴史観は納得しかねる。キリスト教とキリスト教的文明は、切っても切れないものである。ザヴィエルの渡来と奴隷貿易が切っても切れないものであることが、そのよい例である。
キリスト教者はひたすら聖書を読み、都合の悪いことは隠す傾向がある。キリスト教者になったことに一番後悔していると告白しつつも内村は、「キリスト教を採用しないからこそ、霊魂なく、四肢ある脳髄がない」と日本人を罵倒する。この口汚なき男が、日本最高のキリスト者なのだ。

馬野周二は「壊される日本」の中で、日本人に警鐘を鳴らした。

今日見る西洋一神教における神は、私の見るところ、怨念の凝り固まったものである。
読者はびっくりするかもしれないが、書をよく読み、西洋の歴史を考えてみると、まさしく西洋の神というものは、ヘブライ、イスラエル、ユダヤあるいは今日ではもう歴史に残っていない亡国の民族の怨念の塊が神となって、外敵から彼らを守る霊的な集積物だと私は考える。(略)これが善であればよいのだが、往々にして悪霊、怨霊となる。一神教の神は中東の地で出現した怨霊の塊であるよりほかのものでないと私は考える。(略)苛酷な自然環境、動物の肉を食する習慣、異種の人たちに取り囲まれた生活――これらは他の文明が生まれなかった異質の精神状態を育てた。かかる環境の中から、これまで縷々説明した一神=魔神が発生したと考える。

荒俣宏が「パラノイア創造史」の中で書いたように、「牛羊(けもの)」を食べすぎた人間の狂気が一神教なるものを創造したと考えると、キリスト教の本質、キリスト教的文明の何たるかが分かってくる。
羊を殺すという残虐行為と羊から血を流させるという残虐行為とは、常識的にみれば、二重の残虐行為である。常習的羊殺しのゆがめられた病的心理の中に、倒錯的現象が生じた。殺した羊の血によって、羊を殺す罪が赦されるというような変態的心理が発生し、それが贖罪観となり、原始キリスト教となった。彼ら西洋人は羊を殺し、その血をすすり生き続けてきた。ここに罪の意識はなかった。この意識から、神は、羊を殺す人間を嘉みし給うことになった。彼らは無罪感を得るために神を創造し、その創造した神に従属するという狂気の世界に生きることにした。

岩倉一行がうすら寒く感じた西洋の“狂気の源をたどれば、狂気を創造した彼らの神にいきつく。
法政大学の学長であり、政治的にも活躍した著名なクリスチャンの松下正寿は「文化人類学の贖罪感」という論文の中で次のように書いている。

”キリスト教の罪の意識というものは、イエス・キリスト教の教えそのものに由来するものでなく、遊牧の民、牧畜民族固有の生活経験から発生した一種の病理現象であって、本来不健全なもの、従って抹消すべきものではなかろうか。”

このキリスト者自身が書いているように、キリスト教の根本にあるものは、『病理現象』である。この病理現象が罪の意識と贖罪感を生み、神を創造し、その神が罪の意識と贖罪感をもたぬ者、すなわち、原罪を知らない者を下等とした。キリスト教的文明とは、原罪を知らぬ下等人間、下等動物は皆殺しにしてもよいとする文明である。

キリスト者は、そんなことはないと主張するかも知れない。それでは聞こう。キリストを信じるあなたは、キリストを信じない私を下等な人間と思っていませんか、と。どうしてか。キリストを信じる者は、原罪という病理現象がウィルスであり、それが「アーメン」とともに増殖して、「皆殺し」の思想の母となったという歴史を知らないのである。「皆殺し」の思想とは「最後の審判」である。

イエスは「最後の審判はいつ来るのですか」と聞かれた。イエスは答えた。「私がガラリヤ湖を一回りしてきたころに」
イエスはこうも言った。「罪人よ、最後の審判のとき、天国に入ろうとするならば、私と契約を結び、神のために祈れ。さもなければゲヘナ(汚物の焼却炉)で焼かれよう」

キリストを神の地位に祭り上げたのはパウロだった。パウロは死せるキリストを幻視体験し、「キリストは再生した」と主張した。かくてキリストは、歴史の終末を予言する者に祭り上げられた。人類の歴史の中で、ただ一回だけ出現した「今」が、かくて生まれた。パウロの幻視体験をローマ帝国が採用した。パウロは幻視の中で、「サウロ、サウロ、なぜお前はわたしを迫害するのか」を聞いた。

マッカーサーは「東洋のパウロ」になろうとした。キリスト教が世界の歴史に決定介入し、当初、西洋社会に大きな影響を与えたように、東洋において、異邦人たる日本人に神を伝える使命を、神から与えられていると疑わなかった。
パウロはガラリアの人々を非難して、「かつてあなたがたは、神々に隷属していた。しかし、いまや神を知ったのに……どうして再びあの弱く貧しい霊力へと転向することを欲するのか」と言った。

マッカーサーは「日本人は精神的空白に落ちている」と語った。だから、「天皇という神に隷属した日本人をキリストという神で救わなければならないのだ」とマッカーサーは考えた。
パウロは「イエスは十字架で死んだ。三日後によみがえった」と新説を発表し、歴史にその名を残した。おそらく、マッカーサーは次のように叫んでいたに違いないのだ。
「日本人よ、西洋にキリスト教を広めたパウロを知っているか。私は東洋のパウロとして日本をキリスト教国にするために神の使徒として日本に来たのだ。私は精神的空白に落ちたお前たちに、神の恩寵を伝えようと思う」

マッカーサーは日本人の何たるかを知らなかった。日本人は本来、一神教の神を信仰する精神構造を持っていなかった。一神教である天皇教が強力になったのは明治維新後であることを、マッカーサーは知らなかった。
天皇教の唯一神の天皇は、明治維新後、原日本人の信仰「産霊信仰」を恐れていた。だから明治新政府は、維新後ただちに「神祇省」をつくった。神祇とは、天皇族が日本にやってくる前から日本で信仰されていた神々の信仰形態であった。

しかし、キリスト教が明治政府内に入り、キリスト教のマネをして天皇教が生まれると、神祇省はその姿を消した。天皇教を広めるために国家神道がつくられた。天の王朝(原住民)を滅ぼし、仏教を伝来させた天皇族は、仏教徒に原日本人を強制的にならせようとした。仏教徒に素直になったものは良民となり、反仏教徒は賤民となった。しかし、仏教徒も反仏教徒もひそかに社をつくり、ひそかに神を信仰した。日本人のほとんどが、葬式のときにしか寺に行かないのがその証しである。

ほとんどの日本人が過去において原日本人であるがゆえに、神祇の世界に生きている。天皇族は仏教で原日本人を支配せんとし、実際に支配してきた。天皇教は、日本古来の神とは何の関係もない。むしろ敵対関係にあった。しかし、国家神道を創造したがゆえに、日本の神を崇拝するというスタイルを採用しただけである。それは、吉田松陰らの幕末の志士の影響が大きい。

私は、明治天皇がかつて大室寅之祐といわれる部落出身者であると書いた。彼は、天皇族ではない。したがって、仏教の帰依をあっさりと捨てえた、と思っている。だからこそ、伊藤博文の主導ですすめられた新しい神となったのである。

私たち日本人は、明治に入ってから創造された日本歴史を、正しいと思って信じ込まされている。"神"とは何かさえ、真実を教えられていないのである。神とは、原日本人が信じていた神とは、産霊の神である。その神は自然の霊の中に宿る神である。血で塗られた十字架上の神や、天皇族の神とは全く異質の神である。私たちの、原日本人の神は、幾度も殺されかかった。だからひっそりと生きてこられた。村の鎮守の八幡さまを私たちは大事にしてきたのは、その理由による。そこに、仏教でさえ入り込む余地はなかった。

西鋭夫は「國破れてマッカーサー」で日本人像を描いている。

日本人の弱い精神状態の根源は、心の中に強い信念、信じきれるモノ、を持たないからだ。いかに精神的に虐待を受けても、怒り狂うような、はしたないことをせず、ただ右往左往して、誰かに好かれようとする日本。その日本が「金」を祀った宗教に、戦後五十余年心身ともに捧げた。挙げ句の果てが、この虚しさ、この虚脱感。今、何があるのだろうか。誇りを捨てた民族は、必ず滅びる。誇りを取り戻した民族は、偉大な民となり、その文化は栄える。

私はこの後の文章を読んで、逆に、虚しさと虚脱感を感じた。この文章は本の「おわり」に入っている。彼の本の結論ということである。この手の本が横行している。一見、正論にみえる。しかし、この本は何も書いていないように見える。どうして「金」を配った宗教が流行ったかの検討が、彼の大作の中に発見できなかったのである。
日本人はそんなに、西鋭夫の書いているように誇りを失った民族なのか、と私は彼に言いたい。精神的な虐待を与え続けた存在があり、怒り狂おうにも狂えなかったのである。その主役が「金」を祀った天皇教という宗教でもあったのだ。マッカーサーも、この「金」を祀った宗教をあばこうとしたが失敗したのだ。
西鋭夫はマッカーサーを別の視点から見る。

マッカーサーは「民主主義」「平和」という言葉を頻繁につかったが、「平和」の裏に、マッカーサーの恐怖心、日本民族に対する戦慄感があることを見逃してはならない。彼は日本人に平和を望んでいたのではなく、日本人の誇りを潰した。戦後五十年、アメリカに飼い馴らされた日本人は、「誇りの骸」を「平和」と呼ぶ。アメリカの対日「国家百年の大計」は、既に完成しているのではないか。闘う意志がないのは、平和主義ではない。敗北主義という。

私は、荒俣宏の「パラノイア創造史」をこの項のはじめに紹介した。それから、キリスト教の何たるかを簡単に書いた。キリスト教とは、「牛羊(けもの)」を日常的に食する人々がたどりついた宗教であると解せよう。彼らは、ついに、狂気を持つにいたった。その狂気が「最後の審判」を生んだと理解する。それゆえにこそキリスト教徒は、非キリスト教徒ないし反キリスト教徒に対し、たえず恐怖心を抱き、戦慄感を漂わせている。キリスト教徒でない者に対する、絶えまない攻撃を仕掛けずにはおかない。マッカーサーは静かな日常を持ちえなかったようだ。

キリスト教そのものがパラノイア症候群の人々により生まれたことを考えれば、マッカーサー的人間はこの世にたくさんいるし、マッカーサー以降も日本を支配しようと企んできた。マッカーサーは日本占領期も、本国に帰ってからも、「東洋のパウロ」の称号を戴いていた。
マッカーサーが本国に召還され、上下両院で演説した後、多くの議員がマッカーサーに神の姿を見た。若き上院議員リチャード・ニクソン(後の大統領)も、マッカーサーに神の姿を見たと語っている。タフト元大統領は「彼は東洋のパウロだ」と叫んでいる。

「最後の審判」とは、時が一方向にのみ流れていき、その流れが神の御心のままであり、決して覆ることがないということである。そのときの終着点が神の御心により決定しているので、そこに個人の自由がないということである。私は、西鋭夫がスタンフォード大学で現代史を学んだ俊英だからこそ、彼が日本および日本人を悪く言うことを十分に理解できる。彼は「心の中に強い信念、信じられるモノ」を持っていないと、強く日本人を罵倒する。どうやら彼も「最後の審判」を信じる人間(キリスト教徒かどうかは知らないが)にちがいない。

「誇りを捨てた民族は、必ず滅びる。誇りを取り戻した民族は、偉大な民となり、その文化は栄える」と西は書いているが、その国家の名を挙げてみよ、と言いたい。誇りを持つ民族のアングロサクソンがパラノイアとなり、この世界にウィルスをバラまいたのではなかったのか。パウロなる人物を創造した連中に、世界はやられっばなしではないのか。

次の項で私は、賀川豊彦なる戦後期の最高キリスト者を書くことにする。東洋のパウロの従僕にして、天皇教の熱烈崇拝者も、パラノイア症候群の一人であったと書いておく。
「最後の審判」の歌を、決して日本人は歌ってはいけない。西鋭夫が「誇りの骸」と叫ぼうとも。誇りなんぞはクソくらえだ。「闘う意志がないのは、平和主義ではない。敗北主義という」と彼が叫ぼうとも。彼はマッカーサーによく似た思想の持ち主とみた。

私たちは闘う意志を示すかわりに、「最後の審判」の歌を拒否し、森の鎮守の名も知れぬヤシロで、手を合わすか、頭をさげればいい。そして、キリスト教の信者にならなかった(イスラム教とユダヤ教は同一神を神とする)、この地球上の中で例外的な民族として生きればいい。

この宇宙はまあるく回っている。キリスト教徒はこの宇宙は神の御心で最後の審判を受けるべく、一直線に破局へと進んでいると説く。内村鑑三も賀川豊彦も出自は確かに日本だが、その正体は西洋のキリスト教徒に日本人の魂を売り渡したパラノイアと見た。

そんなパラノイアの賀川を「東洋のパウロ」マッカーサーは日本の首相に据えて、一気呵成に日本をキリスト教国としようとした。
パラノイア!! パラノイア!!

・マッカーサーと賀川豊彦

第十章:マッカーサーの野望、吉田の権謀

・「マッカーサーを解任せよ!」
・トルーマン、「ロイヤル文書」にサインをする

前陸軍次官のドレイパーと現陸軍次官の工作が成功し、ケネス・ロイヤル陸軍長官は、一九四九年四月二十七日、トルーマン大統領に一つの覚書を提出した(トルーマン図書館蔵、コレスポンデンス・サブジェクト・ファイル・HSTL)

”日本の国家宗教である神道が衰退したことにより、日本国民の間に精神的空白が生じ、われわれに宗教的好機がやってきました。私はこのたび日本を訪問し、マッカーサー元帥と会見し、彼からキリスト教の伝道について聞き強烈な印象を持ちました。マッカーサー元帥は日本中にキリスト教的民主主義の原則を普及させるべく、その重要性を深く認識しています。マッカーサー元帥は、単にキリスト教伝道を積極的に奨励するだけでなく、キリスト教的な倫理や文化、そして政治的理念にいたるまで、それらを日本社会の全階層に普及させようと努力しています。陸軍省としては、この事業〔日本キリスト教国化 : 引用者注]を推進し支援する事が出来ると信じています。トレーシー・ヴォヒーズ陸軍次官にこの事業を日本の復興計画の中に組み入れるよう指示しました。この目的のために諸措置がとられています。ヴォヒーズは、カトリックとプロテスタントの両教会組織の指導者たちとの話し合いを持ち、最も適切な方法について支援を求めています。”

トルーマン大領は、このロイヤル文書に自ら、「OK」のサインをした。ここに、アメリカが国家として、正式に日本をキリスト教国化することが承認されたのである。
アメリカはプロテスタントが主流を占める国家である。マッカーサーもロイヤルも、ヴォヒーズもこのことはよく理解していた。
文中の「カトリックとプロテスタント両教会組織の指導者たちとの話し合い」に注目しなければならない。プロテスタント中心で日本がキリスト教国化されるとしたら、カトリックは文句を言えないのである。しかし、カトリックが中心となって日本をキリスト教国化するゆえに、ヴォヒーズは「最も適切な方法」を求めたのである。両組織の間で妥協点が見つかったからこそ、このロイヤル文書が誕生することになったのである。

世界のキリスト教の頂点にあるローマ・カトリックにより、天皇はカトリック信者になるであろう。そして天皇は、日本をカトリックの国家と宣言するであろう。しかして、プロテスタント諸派はカトリック教国化された日本で実質的な指導力を発揮するであろう。アメリカではカトリックとプロテスタント諸派がともに活動しているように。スペルマン枢機卿が大いに活躍している様が見えてくるではないか。

この「ロイヤル文書」が、どうして重要な文書であるかを見る。
大統領のサインがあるという点である。アメリカは政教分離の国家であると、日本のキリスト者は信じている。国家と宗教が完全に分離していれば政教分離である。しかし、アメリカは国家と教会が分離されてはいるが、国家はキリスト教とにびついている。大統領の就任式がそのことを如実に示している。ユダヤ教の最高の聖職者はかつては大司祭といわれた。イエス・キリストは、新約聖書によれば「偉大なる大祭司」である。アメリカはどうか。アメリカの国教(カトリックとプロテスタント、そしてユダヤ教を含む)の大祭司は大統領である。あの大統領の就任式をみれば明白の理である。

この「ロイヤル文書」は、アメリカの大祭司が決定した国教の決定書である。アメリカの大祭司が、日本をキリスト教国にせよと、ロイヤル陸軍長官に命令したものである。
アメリカは、神の支配され給う国家を理想として創造された国である。アメリカが世界を支配しているのは、その軍事力と経済力である。それが政治を動かし、宗教意識を高めている。
唯一神がアメリカを嘉みし給う。もし、世界に唯一神以外に多数の神がいることを認めれば、唯一神信仰は成立しない。ここで「皆殺し」が正当化される。唯一神がそれを認めるし、奨励する。ヤーヴェは支配するために殺せと命令する。アメリカの大統領は、唯一神が認めたアメリカの大祭司である。

日本をキリスト教国化することを認めるということは、もう一度日本を完全支配するために「皆殺し」を認めたということである。一九四九年のある時から、「皆殺し」の戦争を開始してよいとのアメリカの大祭司の宣言であった、あの「ロイヤル文書」は。

「やれ! 生き残っている日本の神々を皆殺しにしてしまえ!」という声をマッカーサーは聞いたのである。
それにしても不思議ではないか。どうしてこんな重要な書類がトルーマン図書館に存在するというのに、アメリカの歴史家が書いた日本戦後史に引用されているというのに、日本の現代史の研究家たちは、故意と言うべきか、無視し続けている。この覚書がどうして書かれ、その結果、どのようになったのかを誰ひとりとして追求していないのである。

世界史は教会史であるという、キリスト教から見た西洋史を、日本の学者たちは理解していないのではないのか。すべての歴史は、人間の心が創造した"結果"である。心を無視するから、日本の現代史はうすっぺらになっている。かのとき、キリスト教の血の要求が日本を支配しようとしていたのだ。カトリック教国化されれば、反キリスト教とキリスト教徒の内乱が必然的に発生する。その結果、アメリカは日本を完全に支配できる。そして、多くの日本人は完全なカトリックまたはプロテスタントの教徒になるのである。アメリカ文明に完全に支配され、洗脳された日本人と化すのである。

こうしてマッカーサーは解任の波の中で、トルーマン大統領の正式の承認を得て、日本をキリスト教国化すべく、元気を取り戻すのである。トルーマンも、アメリカ人に人気があるマッカーサーを解任することに反対していた。それは、自分の人気を落とすことにほかならないからであった。

・ザヴィエルの「奇蹟の右腕」

第十一章:聖ザヴィエル渡来四百年記念祭

・アンジェラスの鐘、高らかに鳴り響き

世界史を創造したのはヨーロッパだった。彼らの船が大西洋を越えて世界の海を巡るようになり、植民地が生まれた。彼らの上陸した後には、従来の国家や、社会組織や伝統文化はことごとく破壊された。それまでは、世界中、どこでも「全体としての人類」という思想はなかった。キリスト教により、唯一神による世界創造の思想が「世界史」なるものを作り出した。世界は今や、キリスト教による「教会史」の一現象となった。マッカーサーが自らの目標として掲げたものは、日本に、神の支配する国における「普遍的」なるものを意味する、ギリシャ語で「カトリコス」、ラテン語で「カトリック」をもたらすことであった。

マッカーサーは「碧い眼の大君」として生き続ける歴史そのものであった。しかし、彼は、一歴史上の人物として後世に名を残すだけでなく、カトリックの「教会史」に名を残したいと狂おしいほどに熱望した。「神の国」を極東の国、日本で実現せしめてこそ、我が名は永世にくだろう。

「教会史」とは「普遍史」にほかならない。神の支配せぬ国は地球上にほとんど無しとなった。
イスラム教は、キリスト教と同じアブラハムを祖先とする起源を持つ。インドは英国の支配下にあったために、多数のクリスチャンがいる。ロシアには正教会がある。中国は今、共産国家となっているが、それでも、五千万人を超えるクリスチャンがいる。中国は知られざるキリスト教国である。イギリスがかつて内陸伝道団を中国の山間部まで送り込み、キリスト教を説かしめ、そしてアヘンを吸わせ、彼らの頭にはキリスト教を、体にはアヘンをしみ込ませたのであった。

私は幾度も描いた。もう一度書くことにする。あの「白い神」が一度頭の中に入ったら、一度、「アーメン」と口から出たら、もう二度と、神はその人から去ろうとしなくなるのだ。
一五四九年、ザヴィエルは日本にキリスト教を伝道するために来た。はじめて日本は「世界史」に参入した。日本人がどう思おうとも、キリスト教徒たちは、そのように思っている。だからザヴィエルは「人」となったのである。

イエズス会を通して、日本は強制的に「世界史」に参入させられたのである。一九四五年八月十五日、私たちはこの日を「終戦記念日」と呼ぶ。しかし、この日こそは、世界戦争が終結した日なのである。

九月二日、マッカーサーはミズーリ艦上で、「この問題は基本的には神学的なものであって…」と演説した。日本人は今一度、この「神学的」という言葉を思い起こす必要がある。歴史の終わりの中に日本人を投げ込むと言うことをマッカーサーは主張したのだ。
「神を信じよ。さもなければアルマゲドンの中に日本を投げ込むぞ」とマッカーサーは脅したのだ。かくもキリスト教は大きく歴史を動かし、逆転させうるほどの力を持っている。
日本はかつて二度、キリスト教の神域に襲われた。一度はザヴィエルの来日の後、もう一度は明治維新の後である。

・「全日本をキリスト教へ」とは何を意味するのか
・「別府事件」の前後を探る

第十二章:かくて皇室にキリスト教は残った

・宮中聖書事件
・テニスコートの恋
・美智子妃、「封印された聖書」を読む
・天皇・皇后、キリスト教に深く帰依し給う
・三島由紀夫、恋の行く末

フランスの作家でド・ゴール内閣の文化相として入閣したアンドレー・マルローは、ド・ゴール大統領の特使として天皇と会見した。彼の回顧録『反回想録』を要約する。

マルローは天皇に「武士道なるものを興した民族が、騎士道を興した民族にとってどうして無意味なはずがありましょうか」と問うた。そのとき、天皇は次のように答えた。

あ、そう……あなたがこの国に来られてまだ間もないことであるでしょうけれども、しかし、あなたは日本に来られてから武士道のことを考えさせるようなものをひとつでも見たことがありますか?たったひとつでも。

この天皇の言葉に、マルローが驚くさまが、本を読む私にもはっきりと伝わってくる。マルローは次のような文章を天皇の言葉の後に書いて、突然に天皇会見記を終える。

質問は、この縉紳(しんしん)の広間のなかに、あたかも古池に投じた小石のひろげるような波紋を絶望的なかたちで押しひろげていた。石庭の条痕を刻んだ白砂のおもてに伸びる物影に以て、ゆっくりと繰りひろがるところの波紋である。

こうして、マルローは右の文章を書き、自らの回顧録で天皇との会見の模様を突然に断ち切っている。
私はこのマルローの会見記を読みつつ、思ったのである。天皇が「武士道」について投げかけた質問に、マルローは天皇に答えたのであろうか?
私は何も答えず、会話を自ら断ち切り、天皇に背を向けて去ったであろうと思っている。マルローの文学は激しい抵抗の文学である。マルローは植民地化されたインドシナの民衆の苦しみを理解する文学作品を書いている。彼は何よりも東洋を愛した。この天皇との会見の後、数多くの寺を訪れて、僧たちと問答をし、天皇会見記の数十倍も、その模様を克明に書いている。マルローの文章は生き生きとしている。
マルローはその人生の長きにわたって、美しき武士道に憧れていた。それゆえにまずはと思いつつ、天皇に、騎士道と武士道について問うたのである。天皇の答は「武士道……見たことがありますか……ひとつでも、たったひとつでも」と逆に問われて、唖然とした。

さて、私はマルローの本をどうして紹介したのか。マルローの「反回想録」は情熱の書である。彼は、有名・無名を問わず、会ったたくさんの人々を感動をもって描いている。そのマルローが、たった一人だけ絶望した人物に出会い、ペンを中断した。それが昭和天皇その人であった。私が書いていることに疑問を持つ人はぜひ、「反回想録」を読まれるがいい。

武士道は一つの宗教である。一つの行動規範でもある。武士道が時には天皇教の存在を危うくするのを昭和天皇は知っていた。しかし、天皇は武士道を最大限に利用し続けた。新渡戸稲造は「武士道」を書いた。しかも英文で書いた。セオドア・ルーズヴェルト大統領もこの本を読んで感激した一人であった。その新渡戸の「花は桜木、人は武士」ではじまる「武士道」は次の文章で結ばれている。

武士道は一つの独立せる論理の従としては消ゆるかもしれない。(略)しかし、その光明と栄光は、その象徴する花の如く、四方の風に散りたる後も、その香気を以て(略)人類を祝福するであろう。その香は彼方の見えざる丘から風に渡って来るであろう。かのときのクェカーの詩人の美しき言葉に歌へる如く。何処よりか知らねども近き香気に、感謝の心は旅人を抱き、歩みを停めて、帽子を脱りて空よりの祝福を受ける。”

新渡戸は日本のクエーカーたちの先達であった。クエーカーたちは、天皇が戦前から平和主養者であったとの神話を創造し、広めた。新渡戸の「武士道」の本がその導きであった。彼らはみんな信じていた。「武士道のリーダーの天皇は、平和をずっと追求していた」と。

三島由紀夫も武士道精神を通して熱烈なる天皇教の信者となり、そして自殺した。三島の美意識は、天皇教のもつ摩訶不思議な、深層の歴史感覚に感応した。しかし、三島は、この天皇教の配電に触ろうとし感電死するのであった。死の直前の九月、「革命の哲学としての陽明学」を雑誌「諸君!」に発表した。三島は自らの死の意味を書きつづった。

平和と民主主義という欺瞞の中で誇りを失なった日本人を覚醒させ、天皇制と武士道への還帰を教えるために、自分は死ぬのだ。

「武士道への還帰を教えるために」と三島が呼んでも、三島よ、天皇は武士道なんぞは全く信じていないんだよ。
天皇が支配した軍の上層部が岩波文庫を上手に使い、「武士道とは死ぬ事と見つけたり」を流行させたのである。だから昭和天皇は、武士道の何たるかをよく知っている。鍋島藩で製作された「葉隠」に三島はぞっこん惚れこんで、「葉隠入門」まで書いた。三島は、葉隠とは端隠れだとは知らなかった。「葉隠」とは、逃げて葉の陰にかくれる言葉からきている。逃げては困るから、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の調子のよい言葉が生み出されたのである。

明治の学者たちも、武士道の言葉を多用した。武士道がいつの間にか生まれ、道徳と神の精神とを結びつけたのは井上哲次郎であり、それを世界中に広めたのは、鈴木大拙という、牧野伸顕にアメリカの情報を提供し続けた”禅坊主”であった。彼の友人で哲学者の西田幾太郎までが鈴木大拙に悪のりして、武士道精神を取り入れた”誠”の哲学を説いたのである。それが「善の研究」だった。

吉田松陰のことを書かねばならない。なぜなら、三島は吉田松陰の十一月二十五日という命日を選んで自決しているからである。
吉田松陰は一八三〇年生まれだから、三島は約百年後に生まれた。吉田松陰は仏教中心であった皇室に神道をもち込んだ。日本人に吉田松陰の思想を広めたのは、明治期、大正、そして昭和の大プロパンガンダーの徳富蘇峰。彼が皇室と神道を結びつける。これは全くのデタラメである。仏教を取り入れ、仏教の地獄の思想で、原日本人を物言わぬ(「ものいえば口びる寒し秋の風」)人間に仕上げてきたのが天皇の皇室であった。どこに天皇家に神道の信仰ありや、と言いたい。長州の下級武士吉田松陰が書いた「幽囚録」が、彼を取り巻く者たちのバイブルとなった。ここから民族主義者や侵略主義者が多数生まれてきた。長州の下級武士や部落出身者がクーデターの中心となって孝明天皇を暗殺し、睦仁(孝明天皇の皇太子)を暗殺し、長州の部落出身者の大室寅之祐を替え玉とし成功した。

濱田政彦の「神々の軍隊」という本がある。この本については一度引用した。濱田は日本に古来、「神々の軍隊」があったという。

古代から昭和に至るまで、軍隊(武士)こそは、いつの時代にあっても新「神話」の意識的態度に支配された群衆の持つ力に、唯一抵抗しうる力を持っていたのである。それは文字どおり「神々の軍隊」だった。

私は天皇の歴史について書いてきた。そしてまた、三島についても考察するために、この「神々の軍隊」も読んだ。三島はこの軍隊の復活を願いつつ死んだとされる。あの二・二六の磯部浅一も。私は日本の歴史がいまだにこんな具合に改竄されていることを嘆くのである。

私たちの祖先(天皇族は別として)は、鉄器を持って侵略してきた天皇族により賤民とされた。平安時代の武士平氏も、賤なる身分からの解放を願って天皇族と闘った。鎌倉幕府の北条執権も、部落民とされた原住民の呼びから生まれた。織田信長は部落の出身。天皇を追放しようとし、イエズス会の連中に殺された。豊臣秀吉の真の目的は、天皇を中国に移すべく朝鮮征伐を仕掛けたのだ。彼もまた部落民。徳川家康も部落民。天皇の力をそぐために力を尽くした。

千数百年、武士(怒れる原住民・部落民)は天皇族と闘ってきた。天皇族は神々の軍隊を失ったが、無機的な暗黒の恐怖を私たちに押しつけてきた。彼らは仏教の地獄の思想で武装するようになった……

三島は天皇族の末裔なのだろうか。「神々の軍隊」とはどういう意味なのか。私たち日本は、占領軍の力を借りたとはいえ、不敬罪と治安維持法を捨てることができた。「ものいえば口びる寒し秋の風」をやっと脱することができた。私は「神々の軍隊」を読み、そら恐ろしくなった。こんな軍隊をなくすために、私たちの祖先は千数百年間も天皇族と闘ってきたのではなかったのか。たぶん、この本は天皇族が書かせたにちがいない。

八切止夫は「野史辞典」の中で次のように書いている。

朝には白衣をきて神事をなしタには黒染の衣をまとう僧が、徳川綱吉の神仏混合令以降は仏教の一般風俗とで、今では何処でもみられる坊さん風俗だが昔はちがう。神道名目類聚抄五に「社僧官僧は釈氏にして神宮を頂り、検校・別当より勾当、専当、御殿司、執行より承任に到るまで十八段階あり」と官僧として段位を明確にし、本地垂迹説つまり、祇を仏菩薩なりとする公家の政治目的によって、主な神社には本地仏がおかれ、北条時代を除外して支配つまり官制下におかれた。つまり、全部の神祇を坊主の管轄下においたのが神仏混合令なのである。

徳川幕府と天皇家はグルとなり、物いわぬ人民をつくるべく神仏混合令を強制した。要するに、天皇はその日本民族支配を通じて、仏教の地獄の思想で日本国民(原住民)を支配したのである。彼ら天皇族は、大陸系の鉄の文化を持って侵略した一族である。原日本人の天の王朝は減され去ったのだ。

その王朝である日本原住民族の信仰の主体が『カミ』であった。天皇族はカミ。の宗教を滅ぼそうとしたが、滅ぼせなかった。吉田松陰は『カミ』の宗教を天皇に結びつけて、クーデターを煽った。そして明治維新となったのである。三島は歴史を知ろうともせず(仕方のないことだが梅原猛という文化勲章の受章者も知ろうとしない)、一途に昭和天皇に恋闕の情を示した。かくて『カミ』の宗教は神道となり、その神道が国家神道となっていく。

吉本隆明は「信の構造」の中で、「三島由紀夫」の死を描いた。

私がまさに、正体不明の出自をもつ〈天皇〉族なるもののために、演じた過去のかさを自己粉砕する方法の端緒をつかみかけたとき、三島はこの正体不明の一族にあらゆる観念的な価値の源流をもとめるという逆行に達している。(略)もっとも愚かしい<天皇陛下万歳>を叫んだ。そして(略)もっとも不可避な衝動をもつ割腹……

明治維新は悪いことばかりではなかった。明治天皇は西郷隆盛を大きく評価した。西郷は差別からの自由をスローガンにした。旅行の自由も、移転の自由も、職業の自由も認めよと訴えたのは西郷だった。西郷は国家の膨張主義を好まなかった。青年の明治天皇も同じだった。岩倉具視や、伊藤博文、木戸孝允、大久保利通たちは西郷をしりぞけようと策略した。それが「征韓論」だった。

明治天皇の御歌「四方の海は……」は、西郷を失った歌である。それを昭和天皇は「八紘一宇」の歌にしたのである。
日本の悲劇を、平成の今日でも私たちは知ろうとしない。スイスの秘密口座に入っているあの「秘密資金」を返せと言いたい。そして、三島由紀夫の「悪霊祓い」をしなければならない。どうしてか?天皇制と武士道のために死した三島由紀夫の魂が、あまりにも不憫でならないからだ。

私はここまで書いてきて、ふと、また疑問に思ったことがあった。それは単純で、あまりにも馬鹿げた疑問だった。書いてみよう。

美智子皇后さま、あなたは三島由紀夫をどのように思っていらっしゃるのですか?

前述した「五衰の人」の中で、徳岡孝夫は三島の遺作となった「豊饒の海」(最終刊「天人五衰」)に触れている。
「……檜林がやがて杉林に領域を張るあたりに一本の合歓の木があった」
気になった徳岡は、三島がモデルにしたであろう寺院を訪れている。その寺院に合歓の木があったので安心する。
どうしてか。美智子妃が、合歓の木を入れた子守唄の詩を作っていたからである。徳岡はこの木が実際にあったから、三島の美智子妃への想いはなかったとする。

私は最後の最後まで、三島はかの時の正田美智子に惚れていたと思っている。「豊饒の海」第一部(「春の雪」)は「忍恋(しのぶごい)」を描いている。主人公の松枝清顕(まつがえきよあき)は聡子と恋におちる。しかし、聴子と洞院宮治典王殿下(とういんのみや はるのりおう でんか)との間に婚約が成立する。「勅許」によってである。かくして二人の恋は破局する。

三島は悲劇の人であったのか。否、そうではない。三鳥は失恋ゆえにこそ、日本文学史上、稀有な作品を残したのであった。死の匂いのしない文学作品なんぞに価値があろうか。しかし、三島の失恋ゆえにこそ、皇室にキリスト教が入ってしまったのも事実である。

三島の辞世の歌二首を記す。

益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りて幾とせ耐へて今日の初霜
散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜風

十一月二十五日、三島はライフワーク「豊饒の海」最終巻「天人五衰」を完結した。そして「人にもさきがけて」花と散った。その「人」はだれなのかを、私は追求した。

第十三章:かりそめの日本ならず

・スペルマン枢機卿とヴェトナム戦争
・ヨハネ・パウロ二世の真実に目を向けよ
・キリスト教の熱風はもう一度吹き荒れるのか
・芳香を放つ青春が危機を救う

終章:「カミの思想」を抱きしめて

 

天皇のロザリオ(上)


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