気づき

平等と公平

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『平等と公平』について深く考えさせられた。

平等と公平を表している(と思われる)下図を観る限り、自分のなかにある『平等と公平』の概念と違っているように感じた。

Equality(平等)/ Equity(公平)

不平等な勝ち負けを、平等に愉しむために企てた公平な図らい
または視線(視点)を揃える之図

視線(視点)を揃えるため、親とか親戚の叔父さんとか何者かが踏み台を用意したのか、少年・児童・幼児のいずれの誰かが要求したのかは知らないが、結果同じ視点(視線)で野球観戦ができることが公平とでもいいたいのだろうか?

図左では、少年・児童・幼児たちそれぞれの背の高さが”不平等”であるのだから、ひとつづつ踏み台をあてがうことによって平等としている。 そもそも男の子の存在に平等も不平等もないのに、平等とキャプションを付けるのがおかしい。というか例えの絵自体がオカシイ。

図右のキャプションには、『公平』とあるが、公平の字義(国語的意味)とは全くかけ離れている。 男の子たちの存在自体に偏りがないのに、視点(視線)をそろえるために踏み台の数で公平さを示そうとしているようだが、果たしてそれが公平なのだろうか?

結論

公平の概念は、人の数だけある。 公平の概念は、当事者と第三者で同一になるとは限らない。 善悪・正義の概念同様、これが公平だ!なんていうものは存在しない。

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