哲学

【ざっくり哲学解説】フランシス・ベーコン(Francis Bacon/1561~1626)

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キリスト教的世界観を持つベーコンの思想

イギリス経験論の祖となったベーコンは、経験を重視する中世以来のイギリスの学問的伝統と、ルネサンスの科学・技術の発展を踏まえて、近代的な経験論を展開しました。

ルネサンスの時代には鉄砲や羅針盤が発明されて、機械技術が著しく発達しました。
自然の力を利用するためには、あるがままの自然を観察しその仕組みを理解すること、すなわち、自然についての正しい知識を得ることが必要であると考えました。

言い換えればそれは、
●自然は服従することによって支配することができる
服従する=自然の仕組みを理解する/支配する=自然の力を利用する
⇒ 自然についての正しい知識を得る
ということです。

このように、ベーコンは、知識をもって自然を支配し、人間の生活を豊かにしていこうと説きました。
彼の残した名句『知識は力なり』は、こうした考えを端的に言い表しています。
(ラテン語:scientia est potentia/英語:knowledge is power)

「知は力なり」と訳されることもありますが、日本語の「知」が知識のほかに知恵など広い意味を含むのに対し、ラテン語の scientia および英語の knowledge は知識(あるいは知ること)という狭義に限定されます。

そしてそれゆえ、知識そのものが力である
Nam et ipsa scientia potestas est
[随想:聖なる瞑想。異端の論について Meditationes Sacræ. De Hæresibus 1597]

ノヴム・オルガヌム(Novum Organum)

ノヴム・オルガヌム~新しいオルガノンは、1620年に発表された哲学著作。

I. 自然の下僕かつ解釈者たる人間は、自然のふるまいに対する事実または思考の中に観測できた分だけを、実行・理解可能だ。これを超えては、何も知ることがないし、何も行うことができない。

II. 人間の素手にせよ、理解力にせよ、それだけでは、十分な結果をもたらすことは不可能だ。道具や補助器具を利用してこそ、[人間の手によって]仕事は成されるのだが、それら[助けとなる道具]は手だけではなく理解力にも必要とされている。手のうちにある道具が機能をもたらし手を導くように、精神の道具も理解力と注意力を補強する。

III. 人間の知識と力は一致する、というのも、原因を知らなければ、結果を生み出すこともできないからだ (Scientia et potentia humana in idem coincidunt, quia ignoratio causae destituit effectum.)。自然を支配するためには、自然に仕えなければならない。思索における原因は、作業における規則に対応する。

IV. 仕事を成し遂げるために、人間ができる唯一のことは、自然の実体を、まとめたり、ばらばらにしたりすることだけだ。残りは、自然の性質によって、自然の内部でなされる。[第1巻:警句より]

これは、自然のふるまいを観察・思索し、そこから推測できた知識を、精神の道具として実利に応用することを主張しています。自然のしもべとして、自然に対する真摯な観測を重視した帰納法の提言です。

知は力なり~自然を支配したければ、まず服従から始めよ

ベーコンは観察・実験・検証の積み重ねたで得た知識によって自然を支配し、ひいては人間の生活を豊かにしていこうと説きました。自然を支配するということは、自然界の上位に立つということです。つまりは自然征服、肥大すると宇宙征服!みたいな感じですか。

例えれば、下剋上。
君主を支配したければ最初はおとなしく服従していろと。
君主に従順に仕え、君主を長所も短所も強みも弱みもじっくり観察しながら、嗜好、性癖、あらゆるデータを蓄積し、頃を見計らって弱点を突いてグイグイ攻めれば、下克上成功!みたいな。

このように、ベーコンの『知は力なり』というのは、スピノザの説く第二の知『理性知』と同じレベルのものです。
参照;スピノザ/エチカ

第1の知:表象知誤謬の唯一原因(誤った知)外部の刺激によって生まれる感覚的経験に基づくもので混乱した非妥当な観念から成る
第2の知:理性知/科学的理解によって得られる概念的・推理的認識
第3の知:直観知=自分を含む物体を神の一部(個物)として理解する知/物の本質を具体的に把握してこれを神への直接依存の中に見るもの

深く思索することもなくあくせくと生活に追われ、本能と感情むき出しで生きる表象の知段階よりは進歩しているけれども、理性知の段階というのは、いわば、あざとく小賢しい生意気な若造が、たまたま事業で成功し大金つかんだばかりに舞い上がり勘違いし全能感に浸っているような状態。承認欲求がギンギンに強くて、とにかく人の上に立ちたい目立ちたいから、どんな手を使ってでも目的を達成するというその欲は限りがないんですよね。

人間の悪しき習慣から生まれる4つの偏見

4つのイドラ

ベーコンは自然を支配するためには、あるがままの自然を観察しなければならないが、人間の精神の悪しき習慣から生まれる偏見がそれを妨げていると述べた。
そしてこうした偏見をイドラとよんで、人間には4つのイドラがあることを指摘した。

1)種族のイドラ:人間という種族に固有の偏見。感覚や精神の自然的な制約が原因で、感覚の錯覚や思い違いなどがある。
2)洞窟のイドラ:個人の教育や環境から生じる偏見。理由もなく新しいものを好んだり、古いというだけで感嘆することなど。
3)市場のイドラ:不適切な言葉(実在のない名称や間違った定義)の使用によって生じる偏見。
4)劇場のイドラ:伝統や権威によって正しいとされる学説を鵜呑みにすることから生まれる偏見。

思い込みとか既成概念とか刷り込みとか、宗教、風俗、因習、慣習、世間の常識……いろんなシチュエーションでの偏見を、ベーコンは4つに分類したわけですけれども、この偏見をもたらす土台となっているのが、スピノザの言う『表象知=誤った知』です。

正しくものを見ることができないレベルの世界でいわれている慣習とか常識とか神聖とか崇高とか人によってでんでバラバラみんな違うのだから、このレベルの道徳っていうのは、『仮の道徳』なんだとデカルトは言っているわけです。

そしてこれを打破しないといけない。そうして初めて、この自然を偏見なしにあるがままに観察することによって知識を得ることができると。これがスピノザのいう理性知のことです。

帰納法

ベーコンは新しい学問の方法として帰納法を提唱しました。
帰納法とは、実験や観察に基づいて多くの事例を集め、それらの中に共通するものを見いだし、それを普遍的な原理とする方法です。

ただし、帰納法によって結論を導き出す方法は現在でも存在しません。一般に事例を集める場合、先に仮説を立てることが必要になります。

まず、仮説を立て、その仮説のもとに事例を集めるんですね。やみくもに事例を集めてみても、普遍的な原理など見出すことは出きません。ですからベーコンは、ただ単に帰納法という推論の方法を提唱したに過ぎないということです。

無知の克服

ベーコンの経験論は、イドラを取り除くことが正しい知識に必要だと考え、自然をありのままに観察し、実験という方法を駆使しながら帰納法によって自然の法則を発見していくという立場です。

一方スピノザは、確実な認識は経験だけでなく、理性的な直観、あるいは生得的観念などによってのみ到達することができるとし、自明な知識から演繹的な推論によって次々と証明を行なっていく合理論の立場です。

経験論と合理論の立場は違いますが、両者とも中世哲学的な権威主義、「アリストテレスはこう言っている」とか「聖書にはこう書いてある」とかの上から目線の物言いに対する批判として現われたところが共通していますし、基本的には同じようなことを主張しているのが興味深いとろです。

 

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