エホバ聖書解釈研究

『エホバの証人』聖書解釈研究(01)

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教材:聖書はどのように役立つ?

何のために生きているんだろう。何でつらいことがこんなに多いんだろう。死ぬとどうなるんだろう。この先どうなるんだろう。そんなふうに考えたことはありますか。聖書に答えがあります。どのように生計を立てたらいいか,どうすれば家族で幸せに暮らせるか,といったことも考えるかもしれません。聖書には日常生活に役立つアドバイスも載っています。誰にとっても役立つ本です。

1. 聖書はどんな疑問に答えている?
聖書は誰もが疑問に思うことに答えています。生命はどのように始まったのか。人生の目的は何か。どうして何も悪いことをしていない人たちが苦しまないといけないのか。人は死ぬとどうなるのか。みんなが平和を願っているはずなのに,どうして戦争がなくならないのか。地球はこの先どうなるのか。こうした疑問について聖書には納得のいく答えがあります。

2. 聖書は日常生活にどのように役立つ?
聖書には良いアドバイスがたくさん書かれています。例えば,どうすれば家族が幸せになれるか,ストレスを感じた時どうしたらいいか,どうすれば仕事を楽しめるかなどが分かります。学んでいくと,聖書が教えていることをほかにもたくさん知ることができます。「聖書全体」が「役立」つということがきっと分かると思います。(テモテ第二 3:16)

3. 聖書は頼りになる本
聖書は私たちが歩く道を明るく照らしてくれる光のようです。聖書を読むと良い判断ができ,この先どうなるかが分かります。

この教材は聖書を読んで調べるためのものであり,大切なのは聖書に書かれていることです。各レッスンに聖書の言葉が出てきたら,ぜひ聖書を開いて読み,学んでいる内容と合っているかどうかを確かめてください。

聖書は多くの人の役に立ってきました。楽しく読むことができます。誰かに教えてもらうと,よりよく理解できます。

4. 聖書は疑問に答えてくれる
ある女性は聖書を調べて,ずっと疑問に思っていたことの答えを見つけました。動画を見て,次のことを考えましょう。
[出典:https://www.jw.org/ja/ライブラリー/本/いつまでも幸せに暮らせます/セクション1/レッスン01/#p0]

動画音声書き起こし:あきらめないでください 希望があります

ずっと教師でいたいと思っていました。とっても満足のいく仕事でした。でも人生に何か虚しさを感じていました。
障害を持つ子供たちを目にしました。何か悪い事したわけではありませんが、そのように生まれたのです。こんなふうに考えました。
『全く意味がわからないわ。神様は愛の神でこういうことを全て直すことができるはずなのに、どうしてそうされないのかしら?』

私の疑問に見事に答えたのは私が教えていた一人の生徒でした。
聞かれました。
「先生は私がエホバの証人だと知ってますか?エホバの証人についてもっと知りたいですか?」
正直、すごく知りたいと思いました。
それで「家に来てエホバの証人について教えてくれない?」と言いました。
次の週その生徒がやってきて、私は座って話を聞き、その子からいろんなことを教わりました。自分の聖書を使って疑問の答えを見つける方法を教えてくれました。
そうしたら次から次にわかってきたんです。
25年間どこにも見つけられなかった答えです。
本当に衝撃でした。
[出典:https://www.jw.org/finder?srcid=share&wtlocale=J&lank=pub-lffv_11_VIDEO]

感想

先生の証の動画を拝聴して感じたことは、
この先生の人生の疑問に対する、教え子さんの導き、ガイドの秀逸さについてです。

大前提は、”全人類の持つ全ての疑問の答えは全て(すでに)聖書に書いてある”ということであり、
疑問が解けない者や疑ったり聞く耳を持たず反対したり迫害するような愚か者は、
聖書に求めることもせず自分の小さな脳みその中にある知識だとか経験則から判断しているに過ぎない傲慢で憐れな者である……
と。

イエスが十字架上で宣ったように『この人は何をしているかわからないのです』と神にとりなしをしたように、まさしくこの教え子さんは恩師を愛で聖書の理解へと導いたのです。

単に、『答えは聖書の中に書いてある』などと言い放っただけで済ませて終わりではなく、恩師が心から納得できる教え方をしたのであり、いわばコーチのような役目を成し遂げたのです。

聖書に限らず、相手に何かを伝えようとするとき、あるいは何かを理解してもらおうと思うとき、お役所仕事のような紋切り型、金太郎飴的な対応ではなく、ゴータマ・シッダルータさん的な対機説法(人みて法説け)をこの優秀な教え子さんから連想しました。

聖書を読んだことのある人は世界中にたくさんいるのに、また信仰を持つキリスト教信者同士でさえ仲良くできないわけで、聖書解釈が違うからとゆうて、異端だとかカルトだとか決めつける。

非信者なら尚更のこと。愛を説くキリスト者の御大は、”愛”は口先ばかりで問題が渦巻く現代に、何ひとつ明るい未来への希望を提示できないのが現実。

クリープを入れないコーヒーなんて……
愛のないキリスト者のようだ。

これらは、イエスの弟子と自認する伝道者の責任だろうと思います。

それにしても、恩師を教え導いた教え子さんストーリーは、一級映画をみたような感動に包まれました。

この優秀な教え子さんのような方々が、伝道者として教師としての自覚と責任を持って活動をしてきたからこそ、教材に登場するくらいのこんな素晴らしい先生のような証しを持つ方がおられることがその証拠だと思います。

追記:

この教材は聖書を読んで調べるためのものであり、大切なのは聖書に書かれていることです』とあるように、聖書に書かれている内容が重要なのであって、それ以外は人の手で書かれた(作られた)参考書でしかないわけです。

つまり、聖書を理解するための参考書・ガイドとしての役割を、さらに人の知恵でもって万民にたちまち理解出来るようにすることも可能なわけです。

ぼくは、聖書をガイドなしに読んでもよくわからない。では教材で理解が深まったかというとそうではなく、聖書理解以外の疑念が頭をもたげてくるのです。

すなわちそれは、教材に見え隠れする、”答え既にありき”の教団側の聖書解釈を押し付けられているような感覚になるからです。

永遠のベストセラーと呼ばれている聖書というものを、人生で一度は読んでみようと思い読んでみたが、創世記からしてお伽噺のようでチョッと黄昏れた雰囲気になるものの、我慢してよみ進めていく。するとやがて問題の「ヨシュア記」にたどり着く。

なんじゃこりゃー!神の命令で異民族を殺すおぞましい宗教じゃないか!こんな野蛮な宗教はまっぴら御免!

と思うのが一般人のごくまともな感覚ではないだろうか。

いずれにしても、はじめて聖書を読んでパッと理解できる人なんているのだろうか。
いや、理解できるといっても、エホバの証人側が提示する聖書解釈_

『聖書には納得のいく答えがある』とか
『聖書は日常生活に役立つ』とか
『聖書は頼りになる本』とか
『聖書は疑問に答えてくれる』とか……

ヨシュア記を読んで納得するのは鬼畜な奴らくらいだろう。

筆者がかつてカリブ海の仏領(フランス領)マルティニーク島に行ったときのこと、大ナポレオンの妻ジョセフィーヌの故郷であるこの島の観光案内にはこう書いてあった。

「フランス人がこの島に上陸したとき、まずやったことは住民の皆殺しだった。生き残った者は一人もいなかった。それから、アフリカから奴隷を連れて来て植民地を作った」

と。正式の観光案内にそう書いてあるのだ。誰もが知っていることだから、隠す必要がない。また、欧米人は、宗教とはそういうものだと承知しているから、ことさら隠す必要もないのである。

参考:小室直樹/宗教言論より⇒宗教、このうえもなく恐ろしいもの

小室先生は、キリスト教のことを殺人宗教と断じていますし、植民地を作りたい鬼畜とエホバの証人さんの聖書解釈は違うでしょう。聖書解釈が人の数だけあるようです。

いずれにしても、聖書をパッと読んでもエホバの証人さん的理解にはならないことがわかりました。また、エホバの証人さんの解釈自体も昔と違って変わってきているようです。

万人がすんなり理解できるように、小室先生も納得できるくらいに、近頃の若い者たちの、柔軟な思考と知恵で参考書のバージョンアップ願うばかりです。

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