エホバ聖書解釈研究

『エホバの証人』聖書解釈研究(02)

投稿日:

教材:聖書​は​人​の​生き方​を​変える

ユッカ​・​シュルクレン
1966年:フィンランド生まれ、元社会運動家

わたしは子どもの頃から自然界が大好きでした。家族でよく、フィンランド中部にある郷里の町ユバスキュラ周辺の魅惑的な森や美しい湖へ出かけました。わたしは動物愛好家でもあり、子どもの頃にはネコやイヌを目にするとすぐ抱き締めようとしたものです。大人になるにつれ、動物がしばしば人間に虐待されているのを知り、心が痛むようになりました。やがて、ある動物愛護団体に加わり、同じような考えを持つ人たちと知り合いました。

わたしたちは、動物保護のための運動を活発に行ないました。情報を広めたり、毛皮店や動物実験施設に抗議するデモ行進を組織したりし、また動物保護団体を新たに結成することさえしました。自分たちの大義を推し進めようとして過激な手段に訴えたので、よく警察沙汰になり、わたしは何度か逮捕されて裁判所に連行されたこともあります。

わたしは、動物のことを憂慮しただけでなく、世界各地に見られる他の問題にも悩まされました。それで結局、アムネスティ・インターナショナルやグリーンピースをはじめ幾つかの団体に関わるようになりました。そして、それらの活動を支持することに全精力を傾け、貧困や飢餓に苦しむ人など、恵まれない人々のために発言しました。

しかし、自分の力でこの世界を変えることはできない、と思うようになりました。それらの団体の尽力によって小さな問題は幾つか正されたとはいえ、大きな問題はますます悪化してゆくように見えたからです。まるで全世界が悪の勢力に呑み込まれてしまっているのに、だれも全く気にしていないかのようでした。わたしは力のなさを痛感しました。

聖書によってどのように生き方が変わったか:
わたしは、無力な自分に悲しくなり、神と聖書のことを考え始めました。かつてエホバ の証人に聖書を教えてもらったことがあったからです。証人たちが親切で、わたしに個人的な関心を払ってくれることに感謝してはいましたが、生き方を変えるまでにはなっていませんでした。しかし、今度は違いました。

わたしは聖書を取り出して読み始めました。そして、とても慰められました。読んでゆくうちに多くの箇所で、動物を優しく扱うよう教えていることに気づいたのです。例えば箴言 12章10節には、「善良な人は、自分の動物のことを気遣う」とあります。

わたしは、神が世界の諸問題の原因ではないことも理解しました。それらの問題は、ほとんどの人が神の指示に従わないからこそ悪化の一途をたどってきたのです。わたしは、エホバの愛と辛抱を知って、深い感動を覚えました。―詩編 103:8‐14。

その頃、「聖書は実際に何を教えていますか」という本のクーポンに気づき、それを送りました。やがてエホバの証人のある夫婦が訪ねて来て、聖書を学ぶよう勧めてくれたので、それに応じました。また、王国会館でのクリスチャンの集会に出席し始めました。こうして、聖書の真理が心に深く入るようになりました。

聖書のおかげで、数々の変化を遂げることもできました。喫煙と過度の飲酒をやめ、身なりや言葉遣いを正し、世俗の権威に対する態度を改めました。(ローマ 13:1)また、それまでは自由奔放で不道徳だったのですが、そういう生き方もやめました。

一番難しかったのは民間団体に対する正しい見方を養うことで、それは一朝一夕にはできませんでした。最初のうちは、自分がそれらの団体から身を引くなら、それは裏切り行為になる、と思いました。しかし、神の王国しかこの世界を本当に良くすることはできない、と認識するようになり、その王国を支持して人々に王国について教えることに全力を尽くそう、と決意しました。―マタイ 6:33。

どんな益を受けたか:
社会運動家だった時のわたしは、人々を善か悪かのどちらかにはっきり分けていて、自分が悪とみなした集団にはいつでも反対運動を起こせるようにしていました。しかし、聖書のおかげで、今ではもう他の人に強い憎しみを抱いてはいません。すべての人にクリスチャンとして示すべき愛を培うよう努力しているのです。(マタイ 5:44)とりわけ、神の王国に関する良い知らせを伝えることにより、その愛を示しています。そして、この博愛の活動によって平和と幸福が促進され、人々が真の希望を抱くようになっていることを、うれしく思っています。

わたしは、物事をエホバの手に委ねることにより、心の平安を得ています。創造者であるエホバは、動物や人間が虐待され続けること、またこの美しい地球が損なわれることをお許しになりません。それどころか、これまでに加えられてきた害すべてを、間もなくご自分の王国によって拭い去ってくださるのです。(イザヤ 11:1‐9)わたしにとって、そうした真理を知っているだけでなく、真理に信仰を置くよう他の人を助けることもできるのは、大きな喜びです。今はもう、世界を自分の力で変えなければならない、とは思っていません。

[出典:https://www.jw.org/ja/]

感想

「今はもう、世界を自分の力で変えなければならない、とは思っていません」

の言葉が、とても心に響きました。
ぼくは、いまの怪しげな世間が善きほうに変わってほしいという願いはあるものの、
かといって特定の政治団体とか活動組織とか、(つまり組織的活動が)、生理的に嫌なので、活動家みたいなことをしたことはありません。

今後一切そんなことをすることはありませんし、選挙に行ったのは成人してから数回くらいしか記憶にありません。

世の中を変えるための組織的活動だとかデモ行進だとか、いわば対立の意識攻撃的な意識ではソフトランディングができないばかりか、ますます争いが大きくなるのは必然なのに、多くの人がなにか行動を起こさないといけない!みたいな、何者かに植え付けられたような強迫観念に突き動かされているエキセントリックな行動を客観的にみていると虚しくなります。(コロナ騒動に関連したマスクとかワクチンとかの……)

政治や世間に不満を持つ人が眼を血走らせて批判したり毒づいたりするのを見たり聞いたりすることも嫌だしそんな対話をしたくもありません。

「今はもう、世界を自分の力で変えなければならない、とは思っていません」

と結論づけた彼は、聖書との出会いがあったからこそなのです。

ぼくが出した結論までの経緯とはピッタリマッチしないまでも、彼の結論には同意します。世界を自分(あるいは集団)の力で変えようとも思っていないし、平和な世界を神に委ねているわけでもありません。世界が平和になりますように、と祈ることはあっても祈るだけでは世界平和になることはないと思います。

そもそも、神が世界を変えられるわけがないのです。なぜなら人間は自由意志を持っているのだから。

悪いことも善きことも神と関係なく行動に移すことができます。大衆をマインドコントロールできるテクノロジー(や手法)はあるかも知れないけれど、少なくともロボットのようにコントロールは出来ないでしょう。

個人個人の意識が対立(闘争)から調和へと変わることがとても重要だと感じました。

それは、聖書と出会わなくても、神信心しなくても、宗教団体に入信しなくても、一人ひとりの意識が変われば対立のない世界が実現できると思います。

 

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