謙虚の話なんですけれど、人に対して謙虚なんです。
自分は、もっとそっちに行きたいんだ……
ホントに行きたきゃ、どんどん行けばいいんです。
あのね、修行の中で人間ってね、対人関係なんです。
お釈迦様だって、『天上天下唯我独尊』とかって、この地球の中で、俺より偉いやつはいないんだっていうように、ね?
で、それはいいんですよ。それ、自分を自分で誉めてんだよね?
一生一回っきり言ったっきりであとはズーッと言った事はないだよ。
でも、思ってたんだよね?
思ってるとどうなるかっていうと、別に誉めてもらおうと思わないの。
心が、俺は偉いのか偉くないのか不安でしょうがないと、貶されると落ち込んで、誉められると喜んで。
でも、心の中が、『天上天下唯我独尊』天にも地にも我より偉いやつはいないんだったら、我より偉いやついないんだから、我より偉くないやつに誉めてもらおうとか、あんまり思わないんだよね?
それで、我より偉いやつはいないんだって事になれば、みんなで慈しんで愛していこうとかって気になるんだよね。
で、人間が出来てないと暴君みたくなっちゃったりするけれど、我より偉い人間はいないんだと思って、修行するような人間はまた、誰にでも慈しみの心があるんですよね?
人に対して、謙虚でいないといけないよ、っていうことなんです。
だから、自分はもっともっと向上するんです。
際限なく行っていいんです。だからあなたがこう、どんどんどんどんどんどん、行くんです。
で、行った時に、人に対して傲慢なっちゃいけないよ、っていうことなんです。
俺たちは修行に出てきてるんだから、修行するしかないんです。
で、修行するってことは上に行くんです。
で、どうなっちゃうかっていうと、まずね人生はツイてると思う、分かれ道が来たとき楽しい方へ向かい……
チョッと会社でもなんでも、そういう人間って、役得になってっちゃうんですよ。
それなのに、なおかつ人に対して思いやりがあって、傲慢にならないときたら、そんなやつ滅多にいないんだから、人間ってのは誰か担ぐんですよ、上に。
そうしたら、担がれた人が上に行っちゃうに決まってんです。
上に行くたんびに、偉いようなまた気になっちゃうんです。
その時に、ならないともっと上に行くんです。
もっともっと、上に行っちゃうんです、しょうがないんです。
神様は、人を押さえてないんです。
実力なんです。あの人はあんなに頭がいいのになんで出世しないんだろうって、こうやってズーッと見てるとあぁこれはしないわって訳があるの。
ホントなんですよ?今度一回観察してみてください。
あの人いい学校出てんのに、なんで出世しないんだろうってズーッと話聞いてると、否定的だったり、これは、ってもう必ずありますから。
ちゃんと実力のとこまであがっちゃうんです。
だから、さっき言ったように、謙虚さが足りないんじゃないよ、って。
どんどんどん、自分が上に行って、行けばいくほど、気をつけていかなきゃなんない。
その気をつけるってどういうことですか?っていうのは、信号が黄色になるのと同じように、
「なんかここんとこ気分があんまり良くないんだだよな」って時に、自分の中で、ちょっとここんとこ、自分で傲慢になってるとこないかい?
って、問いかけてみたら?っていう提案なんです。
で、正しいかどうか知らないんです。
ただ、私がやってるだけなんです。
で、けっこう上手く行くんです。
「ここんとこが、考え方ちょっと傲慢なってたよ」
と、これやめようっていうと、スーッと気分が良くなっちゃう。
心のなかで、「どうもこれ、なんでこんな楽しくないんだろう」っていうと、どっかで傲慢になってるとこないかい?って問いかけると、そうだ、こういうとこなんだよ。
っていうようなとこが見つかるんです。
そして、また元へ戻る。
で、しばらくたつと、またチョこっと芽が出る、それの、マァ繰り返しなんです。
今言ってるのは、ツイてるの話をし、分かれ道の話、そうするとこの事が必要になると思うんです。
ふたつのことが出来た人に要るはなしなんです。
でも、出来てなくても要るかもわからない。
あんまり人はね、傲慢にならないほうがいいです。

【斎藤一人さん】自慢高慢馬鹿のうち~謙虚さとは
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