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【無能唱元・伝法講義録 009】個我と普遍意識・自己重要感と群居衝動

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霊の永遠の旅

ワトソンのいうところによれば、自己同一性とは、脊椎動物に見られる、ほぼ固有の現象であるとのことです。

とすれば、自己意識とは進化の結果生じてきたものと考えられます。つまり、進化の途上におけるある一段階に上がったものと見ることが出来る訳です。

これについて、当会の見解は、それを「霊場の上昇」であると見ているのであります。

たとえば、アメーバの時代、私たちは、眼も鼻も口もなく、ただ触覚的なものだけを具備していたとします。しかし、この単細胞も一個の生命活動をしているのですから、そこには生命力が介在し、この力のもとを霊という名称をもって呼ぶのであります。

この霊は、単細胞の外部形態に対し、内部形態として対応しており、それも敢えて、カタチとして考えるならば、外部形態と同じ形をしているということが出来ます。ただし、外部のそれは、より形骸的であり、内部のそれは、より機能的ではありますが。

ですから、アメーバに眼鼻がない時、その霊にも眼鼻がないと考えられます。そして、進化の度合に応じて、そのアメーバが口をつければ、霊も口をつけ、同様に、耳鼻眼というように、身体の変化に応じて霊も同じものへと変化して行ったのです。

いやむしろ、これは逆に考えた方が妥当かも知れません。つまり、霊が口耳鼻眼の諸器官を創り出すに従い、身体もそれらを順次具備して行ったというように…。

そして、そのそれぞれの世代に、身体の死を迎えた霊は、更に髙き進化をとげた新しい身体を創り出し、そこに宿り、そしてまたその身体を進化させつつ自霊も向上し、またその身体を脱ぎ捨てて、更に髙き境地へとの旅を続けている、と当会は考えるのです。

死という転機の後には、性交による子孫が残され、その子孫は身体が以前よりも進化しております。そして、そこを脱した霊自身も進化しており、更に髙位の世界を自らの意識をもって構築して行くのです。

個我意識は進化の証明

個我意識つまり自己同一性は、霊の進化にともない、五官を具備するに従って発現してきたと考えるならば、それは明らかに霊格の向上の証明です。

この個我は、見方を変えていうならば、それは身体諸器官の指揮者であるとも考えられます。あるいは、マネージャーといった方が良いかも知れません。というのは、マスターがその上にあるという意味においてです。以上のことがらから、次のような定義がくだせます。

「個我意識とは、霊の肉体面における発露である」

一方、これに対して、ユングのいう集合的無意識とは、霊の精神面における発露と見ることが出来ます。そして、この精神とは、宇宙普遍意識へとつながるものです。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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