無能唱元

【無能唱元・伝法講義録 010】細胞の共生作用

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細胞の中には、その中に核を持つものと、持たないものとがあります。

普通、動植物の細胞は、独自の保護被膜に囲まれた遺伝子の核をもっていて、これは「真核細胞」と呼ばれます。

これらに対して、もっと小さい細胞のバクテリアがあり、これには核がありません。そして、このような細胞は「核の前段階細胞」と呼ばれています。

前者は性行為をし、生きるのに酸素を必要とし、数多くの細胞が集まっているのに対し、後者は性行為をせず、酸素によって死ぬことが多く、おおむね単細胞で生きています。

何億年もの昔、生物はこの後者の単細胞的なものだけが生きていました。彼らは核を持たず、自らは食物を調達せず、光合成を行なうシダや藻などの植物の作る栄養物を頂いて暮していました。

ところが、食料が欠乏してきた時、彼らは自ら働いて、それを自分の内に取り入れねばならぬ、と感じ始めました。ここで三つの単細胞は協議し、共同生活をし生計をたてることにしたのです。彼らは、蛋白質の家に一緒に住み、仕事の分担をきめるようになりました。

三者の内の一番年長者は、社長室という個室を家の中心に、壁で仕切って作り、そこで執務を取るようになりました。
そして二番目の者は、その外側の事務室あるいは作業室で働くようになり、最後の三番目の者は、営業マンとなって外部折衝を行なうようになったのです。

以上の仮説は、エール大学のリン・マーギュリス女史によるものです。次に、この女史の説を少し引用してみましょう。

彼女が考えている三種類とはDNAを内包する核、細胞のなかでも酸素の使い方を調整する部分であるミトコンドリア、そして、細胞のなかでもあるものには機動性を与え、またあるものにはさまざまな形で高い感度を与える鞭状の小さな構造物である繊毛だ。これら三種は、いわば現代の細胞の頭脳、心臓、そして一種の四肢と感覚器官を結合させたものとなっているわけである。

この結合が始まったのは、蛋白質の断片に棲みついた単純な酸素呼吸をするバクテリアにおいてだったとみられる。三種の同盟者たちのいずれも単独では大したことはできなかったが、三者がいっしょになることによって、近代のアメーバさながらの統制のとれた特別の細胞が形成された。はじめ三者の関係は作業上のものにとどまり、生計を立てるために共同生活をしていたにすぎない。だがいつの間にか、蛋白質とバクテリアという同伴者同士が棲みかのインテリアを変えはじめた。地衣類を形成する植物の同盟者たちのように、いっしょになってまったく新たなものを作りだすようになったのだ。このアイディアはたぶんパートナーのうち年長のものがだしたものと思われる。
というのも共同して何を作ったかと言えば、DNAの執務用に個室を与えるベく壁を作ったのである。これが現在われわれが核と呼ぶ大奥の聖所であり、その小姓ミトコンドリアは、外側の控えの間の机に追いやられてしまった。ミトコンドリアはそこであいかわらず燃料とエネルギー消費を点検している。

この初期の有核アメーバは事業に大成功をおさめたようだ。海という海を浮遊し、遭遇したあらゆる小さな事業体を乗っ取ってきた。そしてついに、単なる原料の供給元にしておくにはもったいくないもうひとつの事業体を吸収し、それをそっくりそのまま、もっと活用できるように取り込んだ。
マーギュリスの示唆するところでは、これはまた別種のバクテリア、柄のないコルク栓抜きのようjな縮れた小さな微生物で、合併と同時に運輸部門に配属された。これがプロペラのように外壁に付着したことにより、ただずるずると動くかわりに、新しい、より大きな市を求めて、事業体をあげて水中を速く泳ぐことができるようになった。

[出典:「生命潮流」Jライアルワトソン/工作舎刊]

以上の仮説からうかがえるのは、①核は頭脳、②ミトコンドリアは内臓諸器官、③外部繊毛は手足、というように、人間の身体へそのまま拡大して考えられることです。
これは正にそのとおりとうなづかせるもので、真核細胞の一単位こそ、縮小された人間の肉体自身であり、一個の個性を持った、いい代えれば意識活動する極微の人間でもあると考えられるのです。

肉体は細胞群の共同生活体

ここでまず注意して頂きたいのは、肉体の各細胞における個性の違い、という点についてです。
この個性の違いとは、核室の中にある記録の違いであり、その記録にもとづいて、この部屋から発せられる司令の性質内容の違いでもあります。そして、その内容とは、すでに設定されてあるプログラミングの文面によって、自分自身の同型、すなわち複製物を創り出す際、それぞれに固有の物に定まっているのです。

たとえば、今、怪我によって生爪をはがしてしまったとしましょう。すると、そこへはまた、同じような爪が生えてきます。つまり、そこへは、たとえば歯のような他のものは生えてこないのです。

これは、その爪のはがれてしまった後に残っている細胞の核には、爪となるべきプログラミングが設定されてあり、それに従って、爪の細胞が複製されてくることを示しております。

このようにして、身体中の細胞は、それぞれ異った性質と顔付きを持ち、そして、これまた異った職能をもった人たちであるのです。ある者は心臓のポンプ係を勤め、またある者は胃腸の消化作用を営むというように…。

これらは一つの家、あるいは一つの国家を連想させるものです。そして、頭脳は家長もしくは政府であり、器官は公的機関もしくは政府であり、四肢その他の骨格筋は、一般労働者に匹敵するものです。

政府と国民との間の意志疎通を計るものは神経という連絡網です。この場合、政府直属の連絡ラインは脊椎内を通る運動神経であり、一般庶民から発せられるものが自律神経であります。

2つの神秘

非常に大雑把にいって、人間の体内の神経は、次の二つに分けられることが、よく知られています。それは、
①運動神経
②自律神経
の二つです。

①は生理学的には「脳脊髄神経系j と呼ばれ、身体の感覚と運動の分野を受け持ち、②は一般の呼び名と囘じく「自律神経系」と呼ばれ、それは私たちの意識的思考をともなわず、消化や呼吸などの生体運動を司っているものです。これについては、次の引用文を読んでみましょう。

神経系はなぜ二つあるのか?

人間の神経系は、脳から出てからだのいたるところにはりめぐらされた針金のネットワーク(網の目)のようなものだ。脳はこのネットワークの中心となり、命令を神経という針金にのせてあちこちに送り、からだを勤かさせたり、笑わせたり、食べさせたり、そのほか人閒らしい行勤をさせる。

神経はまた脳へ通信を送る役目もする。神経系を通して、脳はからだのあらゆる部分におこっているできごとを知る。脳とからだをつなぐおもな中継線が脊舳だ。脊髄は背骨の中におさめられて体の上から下まで通っている。脊髄はちょうど針金をたばねて作った太いケーブルのようなもので、神経がたくさん集まって太い束になっている。

大きい神経はそれぞれ前根、後根とよばれる二つの部分からできていて、前根は腹側から、後根は背中側から脊髄へ連絡する。後根はからだからの信号冷脊髄へはこび、そこから脳へ伝える前根は脳からくる信号をからだの各部に伝える。後根は感覚を支配し、前根は運動を支配する。だれかが私にふれると、私はそれを後根を通して脳で感じる。私が動くときは命令が脳から前根を伝ってやつてくる。

この神経系は脳脊髄神経系とよばれる。これが私たちのすべての意識的行動と、外部の刺激に対する反応をつかさどる。脳脊髄神経系がなかったら、思考も行動も感覚もすべて不可能だろう。

けれども、ご存じのように、からだはまた無意識的な行動もする。からだのいろいろな器官は、生きつづけるためにそれぞれ果たさなければならない義務をもっており、それらは私たちの意識的な思考なしに行なわれる。たとえば消化や呼吸は自勤的に、私たちの意識と無関係に進行する。心臓の鼓動も全く自動的だ。意識的にとめようとしても、とめることはできない。

こういう無意識的、自動的な器官のはたらきは、自律神経系とよばれるもうひとつの神経系が支配する。こういう器官は、脳脊髄神経系からくる刺激には反応するが、意識による調節は必要でない。自律神経系はからだのなかに、脳脊髄神経系と異なる別のネットワークを作つている。しかしこれがなかったら、からだの器官のはたらきが止まり、すぐに死んでしまうだろう。だから人間として生き、人間らしい活動をするためには、脳脊髄神経系と自立神経系の、両方のネットヮ—クが必要なのだ。

[出典:「ポケットサイエンスⅡ」アルカジイ・レオク厶/社会思想社]

運動神経(脳脊髄神経系)は、通常は、意識的思考によって、身体各部の筋肉を動かすので、それらの筋肉は随意筋と呼ばれます。これに反して、自分の意志で動かせない、主として内臓器官の筋肉などは、不随意筋と呼ばれ、それは自律神経によって動いているわけです。

しかし、前記の運動神経は、文字通り、随意に、つまり意識的思考によってのみ、それが働いているのではありません。時には、思考の働きをともなわない、いわゆる「反射」という運動があり、実は、この神経系の行なう日常的な働きは、ほとんどこの反射運動によって占められているのです。

前記引用のポケットサイエンスから、もう少し先の部分を、で読んでみましょう。

反射はどうしておこるか?
医者がきみの足を曲げさせて、小さいゴムのつちでひざのすぐ下をたたいたことがあるだろう。
これは反射行動をしらべたのだ。この場合は、つちで膝蓋腱(しつがいけん)とよばれる特別な腱をたたくので、膝蓋腱反射とよばれる。
つちがこの腱をたたくと、腱の中には刺激を感じる神経(知覚神経)があるので、つちから受けた刺激を脊髄へつたえる。脊髄で刺激は運動神経へ移され、運動神経は足の筋肉に動けという信号をおくる。それで、足は、目の前にある敵をけとばそうとするみたいに、びょんとはね上がる。

この行動が反射行動だ。つまり、反射は全く自動的な行動で、私たちがそれをおさえようとしてもおさえることができない。脳から命令を出して動くのではないからだ。たとえばきみがねどこに入って目を閉じるのは、脳で支配する自発的な行動だ。けれども、ごみが目の中へとびこんできたら,きみは何かしようと思う前に、もう目を閉じているだろう。悩の命令によらない、この自動的な運動が反射なのだ。

ひとくちにいつて、反射は、からだが外部の剌激に対して意志の影響なしに行なう、自動的な反応と定義することができる。

反射はどうしておこるのだろう?脊髄は反射のための乗りつぎ点なのだ。知覚神経が皮腐から、熱さ、冷たさ、光、痛みなどの剌激を受けとると、剌激は脊髄に伝えられ、脊髄で運動神経へ移される。すると運動神経は適当な筋肉に信号を送り、行動させる。刺激は神経から神経へ伝わるだけで、脳を通らない。たとえば「あつい」という刺激は、手の筋肉をちぢめさせて、手をあついものから引っこめさせる。
人の神経系が行なう行動の90%は反射行動だ。

以上の説明で、みなさんは、脳脊髄神経系についてのメカニズムは大体理解されたことと思います。それは、一口にいって、脳を司令室とし、そこから、神経という電線を通じて、身体の各部へ張りめぐらされた一種の連絡網なのです。この場合、脳は一つの基地のようにも考えられます。または、政治における「中央集権的機構」のようでもあります。

しかし、前記引用の反射神経の例でも理解されますように、身体各部には、「地方分権的」な働きもありまして、各部分の知覚、あるいは情報は必ずしも常に、中央の頭脳司令室に全部が送り届けられる訳ではなく、各部所の個々の責任において、その問題が処理されることも多いのであります。

しかし、そのような場合でも、脳脊髄神経(運動神経)と、自律神経(知覚神経)との交感作用が行なわれるのが殆んどなのです。このような、地方行政的な身体の各部分における神経の働きは、大きな意味を持っておりますので、このことは特によく記憶しておいてください。

さて、以上の説明から、脊髄神経とは、中央の国家政府的な頭脳に直結した、一種の行政機関であることが、みなさんには、よく理解されたことと思います。つまり、それには司令を発する基地があるのです。
これに反して、自律神経というものには、一個の基地というものは見当らないのです。一応それは「神経叢(しんけいそう)」あるいは「腺」または「体」「部」などの名で呼ばれる、自律神経の集約されている部分が、身体の各所にあるのですが、それは一種の中継所のような感じのものであり、では、その中継所へは、どこのポイントから、剌戟あるいは命令が送られてくるのか、それは今日の科学ではまだ明らかにされていないのです。換言すれば、心臓や肺、胃腸などを動かしている剌戟あるいは命令は、どこから送られてくるのか解っていないのであります。

さて、やがて細胞は老化して死にます。しかし、その前に細胞は自分の複製をこの世に残しております。そして、その複製物の中心にある核の中には、すなわち、死亡した細胞の核の中にあった遺伝子のプログラミングがそのまま受けつがれているのです。

この遺伝子の役目とは、この遺伝子自身の存続であり、自己を守る防衛です。その意味では時間の流れの中に生き続ける遺伝子は、「不死なるもの」といえましょう。

ところで一方、死亡した細胞から脱け出た「霊力」は、その細胞が生きていた間に進化した分だけ進化向上して、更に髙き何物かの創造の世界に入るベく旅立って行きます。

このようにして、霊も限りなく髙き理想を求めて旅を続けて行く、すなわち「不死なるもの」ということになります。

遺伝子は個人主義的であり、霊は普遍的です。遺伝子は自己を守るために、その城壁つまり細胞を限りなく進化発展させ、霊は魂の進化向上のために、その城壁の中で、働き、修業し、より賢くなるのです。

一つの結論というものがここに見えてきました。
それは、個我というものは、細胞核内の遺伝子というものより発し、集合的無意識と呼ばれるものは、そこに宿る力、霊自身に帰するというその姿です。

そして、ここでまたあらためて重視しなければならないのは、個我も集合的無意識も、真我の進化向上に、共に寄与している点です。すなわち、これは、「自己愛も博愛」も、どちらも等しく重要であり、個我といってそれを嫌う必要もなく、普遍意識といって、それのみを尊しとする必要もないのであります。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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