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【無能唱元・伝法講義録 017】オーラの色は画一的ではない

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オーラの色彩性

通常、人体オーラの見える人も、それを見ているのは、この陰のグループまでであり、
それは①テルモ体と②エーテル体の層までなのです。

ところが、練達の士が見る時、そのオーラは更に大きく拡がって見えます。それは、当然、陽のグループまでが目に映じて来たことを意味します。

これはどういうことかといいますと、オーラを見る人の側の意識の活動で、自らの霊気体(陽のグループ)が、見られる人の意識に投射され、その人の霊気体の波動力に影響を与えるからなのです。この場合、見る人の霊気は、相手のそれに生き生きとした活力を与えます。そして相手のそれは、より外部へ出現し、見る人の霊気とそこで結びつくのです。
このようにして、練達の士が、他の人のオーラを見る時、そのオーラの色、輝きなどにより、その人の内部意識の状態を察知できるのです。

例えば、濃いオレンジ色が、光り輝いている場合は豊かな喜び、あるいは健康さを表現しており、澄んだ透明なブルーは、静かな落ち着きと平安の心境を示しているかも知れません。
また、くすんだ灰色は、失意と落胆を示し、にごった赤は、怒り、野望などを意味しているかも知れないのです。

しかし、ここで注意しなければならないのは、このような色、透明度、あるいは輝きというものに、一律的な意味性はない、という点です。
例えば、オレンジ色は健康の良さを現す、などというように、定ったものではないのです。

これは、あくまでも象徴的な視覚表現であり、そして、この象徴化には、主として、見る方の側の性質において、大きな個人差があります。すなわち、この象徴化は、見る人の想像性、趣味性あるいは芸術性などによって、そこに表現される色彩などは変ってくるのです。

例えば、ここにオーラを出している、つまり見られる人が一人おり、それを二人の見る人がいたとしましよう。
そして、この見られる人は、今、受験にパスして瞬間の学生だったとします。
すると、見ている側のAさんは「透明に光り輝くオレンジ色」を見、一方、Bさんは「不透明な銀白色の輝き」を見るかも知れないのです。しかし、この場合、AさんもBさんも、それが喜びの象徴化したものであることは知っております。
なぜなら、それらの色は、二人にとって、それぞれのやり方による象徴化であり、芸術的表現であるからなのです。

ですから、オーラの色彩は決して画一的なものでなく、その意味性も、個人によって異なることを理解していなくてはなりません。
しかし、それを見ることのできる練達の士は、自分の見るその色が、何を意味するかはおのずから知っているのであります。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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