無能唱元

【無能唱元・伝法講義録 021】三つに分かれる夢のタイプ

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円形物の示すもの

かつて私は、ある女性から、夢について次のような質問を受けたことがあります。
妙な夢で、ここ数日くり返し見るのだが、それは、丸い柱が、太いもの細いもの何本もが重なって現われる、というのです。
円形の切り口も時々あり、それが、下方に移動して行く。このシ—ンの前後には何の脈絡もなく、また人物像の動きもない、といいます。
ところで、この女性は、この頃を前後して、かなり重いうつ病にかかっております。そして、この円柱の夢は、このうつ病と深い関係があるのです。

もう一つの例をあげてみます。
これは若い女性からの相談なのですが、幻覚を見る、というのです。
眠っていると、突然、布団の上から何かが押しつけるので息苦しくなり、パッと布団をはねのけると、すぐ横に、巨大な乾電池が立っていて、そのてっぺんに、電球が点いている不思議な化物がいる。しばらくして、意識がはっきりしてくると、それが実際に見たものか、夢なのか判然としない、とこういう話です。
ここで注意して頂きたいのは、この乾電池も「円柱」である、という点です。

ユングは、このような「円形の図形」を総称して、それは一種のマンダラである、いわばそれは「夢のマンダラ」であるといっております。
マンダラとは、インドの周辺を発祥地とする仏画の一種で、円形などの幾何学模様を用いた図柄のものが多いのです。
そして、それは、心の救いとして描かれた理想的心象画ともいえるものです。
「マンダラは、自己の象徴であり、全体であり、内的な世界の表現されたものだ」とユングは述べております。

「円」それの持つ、私たち人間の感情性とはどんなものでしょうか?
まず第一に考えられるのは、「円満」つまり、丸く豊かに満ちているさまです。この意味で、円は、豊かであり、喜びであり、安心であることを示しております。
また、円は窮(きわま)りなき宇宙の姿を象徴しています。それで、それは理想、真理、永遠などから、神、叡智、救いなどの意味まで考えられるのです。

前記二人の女性の夢について考えてみましょう。
先の女性の円柱も、後の女性の巨大な乾電池も、共に、この救いへの渇仰を象徴していることがまず判ります。
前の女性は中年で、人生そのものに疑問を抱き、一種の倦怠感に悩んでもおりました。そして、これが、うつ病へと進み、頭痛や腰痛を常に訴えるようになっていたのです。
後の女性は失恋の直後でした。自分に自信を失い、情勤不安定の状態だったのです。

不安定な心の状態は、肉体的苦痛から、障害までを創り出します。そこで、彼女たちの生存本能は、「心の救い」を求めて、暗中模索を始めるのです。

夢について

夢には未来のことを告げる予知夢や、テレパシーのように遠隔の地で起きていることを見る夢、非常に恐ろしい思いをした時の光景が繰り返しあらわれるものなどもあって、どの夢も同じように解釈することはできない。しかし、一つはっきりしていることは、夢はエモーションを運ぶものであり、そのために日常の生活よりも、はるかにハラハラ、ドキドキする劇的な要索をもっていることである。

夢はしばしば自分が主役、または登場人物の一人である心のドラマといえよう。もちろん、夢の中には、自分が舞台に登場しないで、ただ、いろいろな劇的な事件が起きるのを見ている観客になっているものもある。古代の人や未開の人たちは、夢は神や精霊から送られてくるものと思っていたようだが、それは夢のストーリーが、自分の発想とは思えない意外性をもっているからであろう。

しかし、現代のわれわれからすると、夢がいかに不思議な世界を眼前に展開するものであっても、それはやはり自分のものであり、自分以外のものがかかわっているだろうなどとは思えない。

つまり、夢は自分が原作者であり、脚本家であり、プロデューサ—であり、ディレクターであり、さらにさまざまな演技者であり、観客でもあるという一人芝居のドラマなのである。さらにつけ加えれば、夢の情景は自分の心そのものであり、それについて自分で考えるとすれば、そのドラマの批評家でもあることになる。こうして考えてみると、夢の中の登場人物は、神的なものから怪獣に至るまで、すべて自分の心が創りだしたものであり、普段は意識していない無意識の世界に住むものたち、あるいは無意識の心の断片の人格化ということもできる。

[出典:夢診断/秋山さと子(講談社現代新書 613)]

この文の意味するところは、日常、私たちが目覚めている時は、表層意識から潜在意識への通路は、一方通行であり、入って行くばかりで、潜在意識から表層意識への逆回路は閉ざされているのだが、これが眠りにある間は、潜在意識から表層意識へ、何らかの情報がもたらされる、としている点でしょう。

精神分析医として有名なフロイトは「夢は日頃抑圧された情動が、無意識的な願望となって表現されるもの」だと考えました。この考えは「昼間の生活が、現実の目的の達成にあるとすれば、夜の夢の世界は、心の働きの解放のためにある」というように説明されます。

しかし、フロイトは、この抑圧された情動の殆どを性的衝動によるものとし、またその内の大部分を幼児期における性意識への抑圧にあるとしました。これは現代では何人もの反論者が出て、今では、この考えは行き過ぎであるとされています。

逆夢(さかゆめ)

逆の表現が夢の世界にはよく見うけられます。予知夢の場合「逆夢」などとなるのもこの一種です。

気分のいい夢が、病気や死への警告である場合もあります。

例えば、ある中年の女性から受けた夢の質問に「美しい草原で、花が沢山咲いておりました。まっさおに空は晴れていて、人の姿は全くありませんでした。私はそこで、自由に舞い踊っていました。とても楽しい気分でした。音はなく、静かだったようです」があります。

これは、危険な象徴性が感じられます。それは、現世を汚濁の中にあると見て、清浄無垢なる地、すなわち「涅槃」的なる世界への渇仰が読みとれるからです。
これからしばらくして、彼女は内臓の大手術をしました。

怖く無気味なものが、実は夢を見る人が求めている救いを意味しているという、この矛盾はなぜ起こるのでしようか?

それは、そもそもが、人間は本来、未知なるもの、それは未来であり、また大自然の摂理でもあるのですが、それらに対し畏怖の念を抱いているか
らでしよう。
人は、その思考と感情が、陽の内にある時は、その未知なるものを、敬愛しているのですが、一旦、陰の世界に入ってしまうと、それを恐れ嫌うようになるのです。

しかしながら「怖いもの見たさ」という言葉にあるように、人間は、それを嫌いつつも又、魅かれてもいるのです。また、その故に、夢は無気味なものをつくり出すともいえます。

いずれにしても、夢の作者は自己であり、それは、意識下の世界から湧き出してきたドラマです。
しかし、多くの場合、このドラマに一貫性はなく、多分に断片的であり、一つの物語を形成することは非常に稀れです。

これはなぜかといいますと、物語を構成する技術は表層意識が受け持つ分野であり、夢は潜在意識から、多分に脈絡を持たず、次々と生じてくるものだからです。

夢の分類:三つに分かれる夢のタイプ

夢はおおまかにわけて、次の3つのタイプがある。

第1のタイプは、眠っている間に外部から受けた刺激によるものである。
たとえば、眠っている間に、ノドが渇くたびにいちいち目がさめていては、眠りが妨げられるので、夢の中で水を飲んで、一時的にノドの渇きを満足させ、十分の睡眠をとらせるのである。
また、トイレに行きたくなった時にも、夢の中で実際にトイレに行って排尿している夢をみることがある。これも同じよらなケースである。
もっとも子供の頃は、排尿を抑える訓練ができあがっていないため、夢の中でトイレに行って、排尿しているつもりで、実際にオシッコをもらしてしまった体験を持つ人はずいぶん多いことと思う。
また、目覚し時計が嗚る音を聞いて、夢の中で火事の半鐘が鳴っていると思うのも似たようなケースである。これらは、ごく単純な夢のタイプである。

第2のタイプ
それは、前の日の昼間の名残りである。これは、夢でなくても、私たちがよく体験する心の慣性作用に似ている。
たとえば、長時間、パチンコに熱中したあとでは、ちょっとウツラウツラしたり、あるいはボンヤリした状態では、絶えずイメージの中でパチンコの玉が踊り、ベルが鳴り、玉がザラザラ流れる場面を見る。
碁や将棋あるいは麻雀でも同じことが起こる。
必ずしも、遊び事だけではない。
今度、二十年ぶりに大英和辞典の改訂版ができあがったが、この監修者らは、夢の中に絶えず英語の単語が浮かび上がり、英語で話をする場面が続いたという。
このように、長時間、ある世界に精神を集中し続ければ、心のエネルギIに一種の慣性のようなものが起こることは、誰でも経験するところである。
前の日に、特に、心を頃わされるようなトラブルがあると、昼間、そのことが心の中を離れないだけでなく、夢の中にまで、その場面や人物が現われてくるのも、同じ理由である。

夢の第3タィプ
これは、無意識のもっとも深いところで行なわれる心の働きである。
私たちが日頃気づかない願望、思い出すことがない記憶、他人との精神感応、超次元の世界からもたらされた精神波動の感受など、心の世界のもっとも未知な部分であり、不思議の世界でもある。

[出典:夢の秘密―もう一人のあなたを探る/階喬(ダイナミック・セラーズ)1981年]

夢を分析したり、あるいは診断したりする場合、必要なのは、この第三のタイプの夢です。これは、私たちの意識下からの信号であり、セルフ(自己)からの通信であることが多いのです。
そして、このタイプの情景は、第一および第二のタイプのストーリーの中に、突然、「混信」にも似た形で登場してくることが殆どです。つまり、その夢の筋立てにあまり関係なく、ポツンとそれがまぎれ込んでくるような具合です。
この混信のシーンは、あるショックを夢見る人に与えるもので、それで、眠りから覚めても、その部分をよく思い出すものです。これは、発信者である無意識の世界が、そのショックを計算に入れているのではないかと考えられます。

象徴夢

私の昔体験した夢の話をします。
少年時代すごした自分の部屋、それは二階でしたが、そこの窓から私は外を眺めておりました。
突然、空が真暗になり、そして、黒雲がもくもくと湧き起こりました。そして、その雲の上に真白な太陽が出現したのです。雲のふちは銀色に輝き、その白い太陽は冷たく、そしてまばゆく澄み切って鏡のようでした。
このシーンは、しかし一瞬で、すぐ他のことへストーリーはそれてしまったようです。つまりこの混信は、一瞬の通信をすますと、すぐまた途絶えてしまったのです。

目が覚めてからも、この時のシーンは、ありありと思い出すことが出来ました。それは、無気味であり、かつ、強烈なエネルギ—という感じがありました。
太陽というものを象徴として考察してみると、それは人格的には、月が女性的であるのに対して、アポロンなどの英雄的男性像をまず思わせます。それは積極的、行動的な男らしさを表現し、強大な力を示唆するものです。
これが、黒雲を押し除け、暗黒の闇の中に真白の円形となって輝きわたったのです。暗闇は無意識の頜域を示しており、この中に、力と光明を示す、円(完全なるもの)の啓示が登場したのです。
後になって悟ったのですが、この頃、私は大きな自信を心の中に持ち始めていたのでした。
事実、日常の生活も、この頃を期として、すべてのことが、能動的に発展し始めております。
仏教の唯識学に出会い、思想的な統一を得、それを基に著作を始め、その本がある出版社と縁が生じて出版され、その読者たちによって、円成会の母胎が出来、というように次々と新しい運命は展開して行ったのです。
今から思い返せば、この真夜中の白銀に輝く太陽の夢は、正に私の精神的覚醒すなわち悟りを象徴していたのでした。

私たちの霊は、常に進化の途上にあり、それは霊自身の向上心によって、向上昇格して行くのでありますが、この向上心に刺戟されて、私たちはしばしば象徴的なシーンを「混信夢」として、夢の中に登場させるものです。

それは、偉大なるものの姿をかりて象徴されます。例えば、「高くそびえる山」「巨大な木」「入道雲」「太陽」「虹」などがこれにあたります。
[出典:唯心円成会伝法講義]

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