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【無能唱元・伝法講義録 031】正しい姿勢なんてない(アレクサンダーテクニック)

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姿勢について

ーロにいって、健康であることが判るのは、その肉体の外見からです。
肌のつや、眼の輝き、声の調子などもそうですが、最も大切なのは、その外形、すなわち「姿勢」のあり方です。

日常生活の内において、良い姿勢を保持することは、健康、不老長寿にとって欠くことの出来ない方法の一つです。
その人の意識のあり方と、その瞬間のその人の体型は大いに関係があります。すなわち萎縮した感情は、姿勢までを萎縮させ、また、伸び伸びとした大らかな気分は、身体までを伸びやかにさせることは明白な事実です。
しかし、心が萎縮した時、身体を伸びやかにすることによって、心までも伸びやかにすることが出来ることについて、人々はしばしば忘れがちでもあります。すなわち、これは自己コントロールを外部からほどこして行く方法なのです。

「良き姿勢を意識的に保持する」これは、幸福な人生を創造するためには是非とも必要な努力であることを、銘記して頂きたいのです。
しかしながら、この「良い姿勢」ということの概念は、一般の人々が考えているそれと、当円成会の考えるものとは、かなり異なっているのです。

普通、世人が考える良い姿勢とは、いわゆる軍隊式の気をつけの体型に近いものです。それは、「あごを引き」「胸を張り」「背すじをピンと伸ばした」という点にその特長が見られます。
これらの姿勢を、当会は決して良い姿勢とは認めないのです。なぜなら、それには「シャチホコばった窮屈さ」が介在しているからです。
当会のいう良い姿勢とは、より自由で伸びやかなもので、前記のような窮屈なものとは大きく異なつております。
良い姿勢とは、まず「生命力に満ちているべきである」これが当会の考え方です。すなわち、それは陽気の内にあるもので、決して陰気の内にはないのです。

「陽」は「生」であり、外形的にはそれは「伸」において表現されます。「陰」は「死」であり、外形的にはそれは「縮」において表現されます。
大地より天へ向かって伸びる力は「生」であり、大地に向かって縮んで行く力は「死」であります。
すなわち「伸は生」「縮は死」そして、良い姿勢とは正にこの前者を示すのです。つまり、良い姿勢とは、身体が伸びた状態である、ということになります。
ここでみなさんにご紹介したい「姿勢のテクニック」があります。それは「アレクサンダーテクニック」と呼ばれる姿勢術技法で、その効果はまことに目ざましいものです。
この技法は、アメリカで最も盛んで、ニューヨークには数多くのスタジオがあり、俳優や歌手などが多勢その修得に励んでいるといわれております。

あなたは銅像ではない
テクニックを用いて自分自身をうまくあつかうということは、いわゆる「気をつけ」のような動きのない「姿勢」をとるということではまったくありません。
「直立不動の姿勢」というのは、どんな場合でも実生活とはまるで無縁のものですし、そのような言葉は忘れてくださっても結構です。
まあしいてあげるなら、部屋に入る前に姿勢を正したり、これから階段をおりようというときに階段のてっぺんでちょっと身がまえたり、まれにいくつかそれに近いこともあったりしますが、いったん部屋に入ってしまえば、また階段をおりはじめれば、途端にからだ全体は動きに支配されてしまいます。
そしてそのときにはまたいつもの習慣どおりにからだを使っているのです。
「直立不動の姿勢」をとっているあいだだけ、なんのことはない、からだをしばらく「固定」させていたにすぎません。
ですから、このアレクサンダーテクニックを学ぶためには、なによりもまず最初に、いわゆる「直立不動の姿勢」という、なんとなく光輝くイメージを、頭のなかからことごとくとりのぞかなくてはならないのです。
兵隊たちの規律正しい行進とか、歌劇団の調和のとれたコーラスラインといったものは、忘れてください。
なぜなら、パレード会場やミユージック・ホールを出るときには、兵士も踊り子もみな一様に、それまで張りつめていた緊張を思いっきり解き放って、いつもの自分に帰ってしまうのですから。

正しい姿勢や立ち方なんてない
これからさき誤解をまねかないために、そしていささかの混乱もひきおこさないためにも、ここではっきりと、アレクサンダーテクニックはなにか特別な姿勢をとるものではない、と言っておくべきかもしれません。
立っているところや、すわっているところなど、考えられるすべての形について「正しい」姿勢を暗記し、生涯それにあわせた姿勢だけをとるように、注文するものではありません。
だいいち、椅子から立ちあがるという一見単純そうな動作にともなうからだの部分的な動きだけでも軽く百は越えてしまいます。そんなことをしていたら、一生かかってもくつ下をつくろう動作は覚えることができません。

第二に、あることをするのに必要な「正しい」姿勢など、はじめからないのです。
もし、あるとするなら、この地球のうえにすむ人間のからだはひとりひとり違うのですから、当然「正しい」姿勢も、ひとりひとり違っているはずでしょう。

[出典:アレクサンダー式姿勢術/サラ・パーカー]

[出典:唯心円成会伝法講義]

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