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【無能唱元・伝法講義録 032】人間は汽車みたいなもの(アレクサンダーテクニック)

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アレクサンダーテクニックの基本動作は次のただ一つです。

「頭をすっと上の方に持ち上げ、からだがその動きについて行くようにする」これを、この動きを、日常生活の中において出来るだけ応用するのです。靴をはく時、椅子から立ち上がる時、買物袋をかかえている時、信号待ちをしている時、何をしている時でもかまいません。そうすればそれだけ早く、身のこなしが軽くなり、何事にも自信が出てきます。

基本動作
自分の今いる部屋がどういう状態にあるのか調べるような気持ちで、頭をゆっくりと一方から他方へとまわしていくときに、次の基本動作をしてみてください。
頭を胴体からひきはなすようにすっと持ちあげ、からだがその動きについていくようにします。
そのとき注意することは目を開けたままにしておくことです。世界をよおく「見て」ください。
ゆっくりとまわしていきますが、そのときでも、頭をからだからひきはなすように上の方に持ちあげたままにしておきます。
腰かけているときや立っているときには、上といえばもちろん天井のある方向を、さします。
ところがからだを横に傾けた場合、「上」というのは脊椎のいちばん先端がさし示している方向になるのです。
そこでこれだけは覚えてください。
ここで使う「上へ」とか「上に」とか単に「上」というのは、決してはじめから方向がきまっているのではなく、いつでも動作のなかで考えるべきものであること、つまり、それが、たまたま脊椎の先端のさし示している方向にあたるわけなのです。

人間は汽車みたいなもの
頭にからだの動きがついていくことが、アレクサンダー・テクニックの基本です。
このことは人間を汽車にたとえてみるとわかりやすいかもしれません。機関車が頭で、残りのからだ全部はそれに引かれた客車と考えてみてください。
両者が適切に連結されていれば、機関車が動くまでに、ほとんど時間的なズレはありません。前方に向かう力は、ほぼ同時に客車から客車へと伝えられるものなのです。
アレクサンダーはこの動きを、ある矛盾した表現で、こう言いあらわしています。
「一体となってつぎつぎに続いていく」と。

---中略---

なるほどわずかな調整です。
はたから見てもわからないほどいつでも頭を「ほんとうにほんのこころもちだけ」(アメリカでテクニックを独習中のひとにあてたイギリスからの手紙のなかで、アレクサンダーはそう書いています)上に持ちあげるようにするだけのことなのですから。

この「基本動作」は、決して大袈裟で、誰の目にもわかるような目立つ動きではありません。頭を持ちあげるようにするとき、首が伸びるといっても、ほんの数ミリという程度、非常にわずかなものです。
アレクサンダー・テクニックの効果がこれほどあるものだから、きっとえらくがんばらなくてはいけないんだろうと信じているひとたちもけっこういます。
そういうひとたちは、力の限り首をのばし、きりんのようになろうとしたりします。
でも、首を無理に伸ばそうとする必要はまったくありません。
頭をからだからひきはなすような気持で持ちあげるという、ごくわずかな動きだけでもう十分なのです。
大きな行為だけが価値ある結果を生むと思いこむのはわたしたちの信条のひとつなのかもしれません。
しかしながら、ここでは、顕著な結果が、ほんのわずかな変化から生まれます。
誰の目にもその違いはわからないかもしれないけれど、きっとあなたはその違いを自分のからだにある骨の一本 本で感じとることでしょう。

[出典:アレクサンダー式姿勢術/サラ・パーカー]

アレクサンダーは、体操というものについて、次にような結論を与えております。
「体操そのものだけでは、健康その他の、人々の求めるものは決して得られないだろう」つまり、彼のいいたいことは、日常生活の中で、からだを正しく使わない人は、いくら体操をやっても無駄である」という点にあります。

アレクサンダー・テクニックでの、もう一つの重要な部分は、呼吸が自然に楽に行なわれている、という点です。
これはいい代えれば、すべての点において自由でリラックスしている、という意味であり、意識がそうであり、同時に肉体の動きもそうである、ということなのです。
そして、エネルギーは上方へ向けて(脊椎の上部の意)動くのです。
このようにして身体は伸びます。身体が常に伸びの意識の内にある時、心も伸びやかになります。
こうして、身体は生き生きとしてくるのです。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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