無能唱元

【無能唱元・伝法講義録 038】スウエデンボルグ

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今回は、夢を発展させ、自己の霊体遊離を行ない、更にその自己の霊体をもって死後の世界にまで出入したといわれる十八世紀の巨人、エマヌエル・スウェデンボルグについての紹介および論評を試みてみたいと思います。
スウェデンボルグは、1688年スウェーデンのストックホルムに生まれ、84歳をもってイギリスのロンドンで没しております。
科学者、哲学者として、当時のスウェーデンでは最大の学者であるといわれております。その当時で、すでに飛行機、潜水艦、などの構想をもち、また運河なども初めて開設したなどの業績が知られております。その他にも、数学、生物学、天文学についての著書を表しておりますが、その中でも特に現代の学者を驚かせたのは、この二百年の昔にすでに「脳波の研究」をしていたことです。
しかし、スウェデンボルグを特に有名にしたものは、彼の著書「夢日記」と「霊界見聞録」の二書であり、この中に普通人の経験し得ないような驚くべき体験が記されてあるのです。
そして、このような体験は、彼の晩年においてなされたのであり、その初めてのものは、彼の56歳の時に起ったのです。
以下、これについては、次の引用文をお読み下さい。

驚異の体験のあと霊の世界へ
スウェデンボルグにとっての大転機は、どんな意味でも彼の予測だにしない方法で天から降ってきたのである。それは霊魂の科学的探究などという思弁や理屈を超えた、全く新しい形でやってきたのだ。
彼が56歳になった時のことだが、それは自らが霊になり霊たちとじかにふれ、じかに語り合い、霊界を見聞するということであった。これは思弁や理屈でないだけに、われわれにもっともわかりにくい世界である。だから後年、史上もっとも不思議な人物とされる神秘哲学者、神秘思想家で超能力者スウェデンボルグが誕生するのだ。
では彼の転機の訪れとはどんなものだったのだろうか?
彼の死後70年たって発見された「夢日記」にそれが書かれている。彼の56歳3月から10月までの間の日記だが、そのもっとも重要な点だけを拾って示せば、次のようになる。

"私はその時旅先でとある宿に泊まっていた。そしてそのタベ、街に出てある店で食事をとっていた。その店に客はなく私一人だけであった。食事をすませた私は、今夜はやや食べすぎかなと思いつつ、フォークをテーブルに置き、くつろいでいた。不思議な体験はこの時に起きたのである。
私が食事をとっていた部屋の床面いっぱいに、蛇やガマガエルなど気味の悪い生き物が突然のように湧いて出た。私は気もどうてんするばかりに驚いた。だが、しばらくするとこの気味の悪い生き物の姿は消えてなくなり、そこに、それまで一度も会ったことのない異様な雰囲気をただよわせた人物が現れた。
彼は私に告げた。
「汝、あまり食をすごすではないぞ」
その人物は私にこれだけいうと、私の視界からかき消すように消え、そのあとには雲や霞のようなものが部屋中にただよい、私もその中に包まれてしまった。そして、すぐ雲や霞も消え、私は前のように、部屋の中に一人いる自分を発見した。
私は急いで宿に帰った。自分の部屋にこもると、今の奇怪な体験について考えた。私は体や心の疲れか何かの変調のせいかと考えたが、そんなことでないのは私自身がいちばんよく知っていた。
しかし、健康で現世の用向きに忙しかった私は、このことは深く思いわずらわすにすぐ眠りについた。翌日の夜にはもっと驚くベきことが起こるとは思いもよらずに……。
翌日の夜、この不思議な人物は、私が眠りにつこうとしたベッドのそばに再び現れたのである。
私の驚きと恐怖がどれほどのものであったかは、いうもおろかであろう。驚きと恐怖にふるえている私に対し、彼はつぎのようにさらに驚くべきことを告げた。
「われ、汝を人間死後の世界、霊の世界へともなおう。汝、そこにて霊たちと交わり、その世界にて見聞きしたるところのものをありのままに記し、世の人々に伝えよ」"

もちろん「夢日記」はこれほど単純なものではない。しかし、その最もたいせつな彼の人生の大転機の要点は、以上のようなものであった。こうして彼は、以後、霊界探訪者となり、その見聞を30年間書き統けるのである。

死者は生きている

では、彼の語った霊界の様相を概略的に紹介しよう。しかし、その前にぜひいっておくことがある。
「私は数十年にわたって霊界に自由に出入りし、霊たちと親しく交わってきた。そして霊界のさまざまな様子も自分自身の目で見、耳で聞いてきた。これらの事実にもとづいて私は自分の本を書いているのである」
第3期の著作のいたるところで彼自身がこういっているように、古来あれこれといわれてきた想像上の霊界や宗教の教える霊界ではない、実際の見聞による霊界だ。これは常人のわれわれにはとても信じがたいことだが、彼の霊界についての記述の特色はここにあるということだ。

さて前置きはこのくらいにして、われわれも霊界をたずねてみよう。
肉体は死んでも霊魂が死ぬわけではない。"死者は生きている"のだ。スウェデンボルグのいい方でいえば"棺車の上に死体が横たえられ冷たくなっていようとも、その死体の裡にありながら死者は意識をもっていて、いろいろと考えをめぐらしている"のだ。そして"ただ、その意識には肉体を支配する力がなくなっているだけ"なのだ。
さて、こんな"生きている死者"は、まず初めに精霊界という所へ導かれて行く。それは導きの霊が現れて連れて行くのだが、その様子は次のようだという。

"閉じた眼の上の薄布が静かにめくり上げられるのを感じる。それから少しずつ光がさしてくるのがわかる。だが、まだこの段階では人が眠りからさめ始める時に、薄くあけたまぶたの間から外のものを見る時のように、非常におぼつかない、頼りない感じである。つぎに顔全体をおおっていた布が少しずつはがされていくのを感じる。この段階になると、自分は精霊になり精霊としての考えや感覚が自分の中にどっと流れ込んでくる……"
ここでは、人間としての感覚を失い、それに代わって霊(精霊)としての感覚が生じてくる様子が書かれている。

さて霊としての感覚や知覚が目ざめ始めると、迎えの霊の姿も見えるようになり、その霊に導かれて精霊界へと行く。
この段階では、まだ人間とも霊ともその区別がそれほどはっきりしない状態。それをスウェデンボルグは、自分の体験から次のように記している。

"私はある市街を通ってその郊外へ歩いて行く途中だった。私は歩きながら精霊と話していた。
私はふつうに眼をあけており覚醒しているとばかり思っていた。だが実はそれは幻想だったのだ。
私は歩いて行く道々、森や家屋、河などふつうに人間界にあるものをいくつも見ていたが、それは人間界のものではなく、すでに精霊界のものだったからだ……"

彼はこのあとにこんなことをつけ加えている。
"そのうち私は突如として自分の肉体に返った。そして周囲の状況が今までと全く違っているのに愕然となった……"
愕然となったのは、人間にもどった彼の眼前から霊界の森や家屋が当然なくなっていたからとい-うわけだ。
ともかくこのようにして、死者はまず精霊界へ行く。それからここを経て霊界へ入って行き、そこで永遠の生を送る。霊界とは、天界と地獄界の2つから成る世界のことである。

人間界に似ている精霊界

精霊界は、死者が霊界へ行くために必ず通過するひとつの"通過駅"だ。そして精霊界は人間界(スウュデンポルグのいい方では物質界)と霊界の中間にあるために、精霊界にいる精霊は、まだ霊的には精霊界の霊ほど純化されていず、人間に近い性質をもっているという。スウェデンボルグの記述を例にあげてみよう。

精霊界に入ってきたばかりの新入りの精霊に前からいる精霊がいた。
「おまえはもはや人間ではない。おまえの葬儀はすでにすんでいる」
これを聞くと、新入りの精霊は驚いていった。
「私の肉体が埋められたとは何のことだ、私はまだこのように生きている」
新入りの精霊は、自分がまだ生きているのに変なことをいうなといったわけだが、彼が生きているのは、もちろん精霊としてであり、自分にはもう肉体がなくなっていることに彼は気づかない。

これは、ひとつには精霊になることがまだよく理解されていないためもある。しかし、もうひとつの理由は、精霊界が人間界にあまりによく似ていることだ。そのため彼は、人間だった時との違いに気づきにくいのだとスウェデンボルグはいう。そしてこのような例は、彼は霊界(精霊界)で自分自身の眼で何度も見ていると書いている。
精霊界は人間界に近いので、精霊たちも人間だった時の人相(精霊相?)をまだそっくり残している。そこで生前の家族、友人たちもすぐ見分けがつき、彼らがいつも一緒にいるというケースも多いという。夫婦と子ども数人の家族が一緒にいる例をいくつか見たと彼は書いている。つまり、事故か何かで一家が同時に死に、精霊界に入ってきたケースなのだろうと彼はいっている。

精霊界は、霊になるためのいわば"修業"の場、準備の場で、ここで精霊たちは霊的な純化という"修業"をする。その修業とは、人間だった時の物質的な記憶をしだいに失い、霊的に目ざめることであるという。そしてこれによって霊的な心が、心の深奥が開けていく。人間だった時の記憶でも、心の深奥のほんとうの記憶は失われず、逆に鈍化されて一層強くなる。これに対し物質界的な心の外面的記憶は失われる。

[出典:巨人スウェデンボルグ伝/今村光一(厶ー 1982年1月号)]

この書で、特に顕著であるのは「霊界へ行く前に『精霊界』というものが存在している」という点です。
この精霊界はいわば一時的な通過駅のようなもので、ここでしばらく滞留している間に、それぞれの霊は「霊的な純化」ということを行なうというのです。
霊はそれまでの過去、それはつまり人間界にあった生活を通じて、霊的な向上があったのですが、
その際に得た霊的開眼の程度にちょうど合った霊界の団体を選んで、精霊界からそこへ入って行きます。霊的な純化とは、物質的な記憶を洗い流し、それまでに育てられているところの霊的な心をあらわにし、それを自覚させ、それに合った霊界の団体を「みずから選ぱせる」のです。
このみずから選ばせる、と彼がいっている点は非常に重要なところです。なぜなら、それまでの死後についての一般的な見解は、最後の審判などで示されているように、それは「他者によって、その行く道が決定される」という意見が圧倒的であったからです。
スウェデンボルグのこの説は、それまでの定説を一挙に引っくり返し、まったく斬新な見解をここに示したのです。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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