無能唱元

【無能唱元・伝法講義録 044】霊界の太陽

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地獄の霊たち

今回も、スウエデンボルグの説く「霊の世界」について、もうしばらく考察をつづけることに致しましょう。

私は暗い穴ぐらのような通路を通って地獄へ入っていった。通路をどのくらいいったかよくわからないがやがて道は斜めに折れ、そこに下へ降りる階段があった。しかし、その階段はおり口から二、三〇段だけが眼に見えるだけでその先はどこまでも無限に下へ向かっているのではないかという感じがする階段であったことをいまでもはっきり憶えている。私は階段を恐る恐るだったが一段一段と降りていった。あたりは暗閣につつまれていたがほんの少しのうす明りが私の周囲の世界を照らしていた。だが、その光はどこから発しているのかはわからない感じだった。

階段をしばらく降りると、その階段は幾つもの同じような階段に分かれていた。私は、そのうちの一つの階段を選んで降りていった。この階段を大部降りた時、私は黒い霧のようなものに階段も私も包まれてしまったのを知った。しかし、しばらくして私の眼が黒い霧になれてくると私には遠
いほうに、小さな赤みを帯びた明かりがあるのが見え、また、この黒い霧の下には地面のようなものがあるのが見えてきた。私は階段を地面へ向って降りていった。すると、そこに階段の踊り埸のように少し広くなったところへ出た。私は踊り場に降り、周囲を見回した。頼りはさっきの小さな明かりだけであった。

小さな明り、それはちょうど霊界の太陽のように無限のかなたに見えた。ただ明るさと光の色が違うだけであった。この小さな明りに照らして見ると私は、その踊り場と思ったものが階段の踊り場などではなく広く広がる世界の一部であることがわかった。眼がなれるにつれ、私にはそこに広がる世界が霊界と同じように広大無辺な広い広い世界であることがわかってきた。そして、そこにはやはり霊界と同じように大勢の霊たちが永遠の生を送っているのだった。

だが、この霊たちの姿、形、顔つきは、さっきの話で記したようにいずれも醜怪をきわめ、とても同じ霊とは思えないものであった。ある者の顔は黒色で醜く、またある者は顔一面に汚いアバタが吹き出しており、ある者は恐しげな歯だけをむき出している……といったふうだった。この世界にもやはり、霊たちの住居や街、樹木等々……霊界にあるものは全てあるようだったが、それらの物も正視できないほど怪奇な姿をしており、また世界全休に鼻をつまむ気待ちの悪い異臭がただよっていた。

私はこの世界を、さっきの小さな明かり一つを顆りにそのほうへ向かって步いていった。この世界の様子はどこまでいっても向じように気味の悪いものばかりだった。ある街角のような所へ出たとき、突然一人の霊(凶霊)が飛び出してきた。彼は何かわけのわからぬことを大声で口走っている。すると彼を追いかけるように他の凶霊が一人、飛び出してきてこれも同じようにわめいた。私が驚いて見ている間もなく、街のあちこちから、いずれも醜怪な顔つきと姿の凶霊たちが何百、何千と集まってきた。彼らはいずれも、その醜い顔つきを一そう醜くゆがめて大声で何かを口走り、ののしり合っている。私には彼らの口走っていることの意味はわからなかった。しかし、彼らの言集の底にあるのは全てが怒り、憎しみ、報仇(ほうきゅう)の念、虚偽といったものばかりであり、その口調もとても聞くにたえないものであることが、私の全身をぞっとする思いで凍りつけてしまった。

だが、つづいて私の眼の的で起こった事件は、さらに一そう私を耐えがたい気持ちにさせるに十分だった。彼らの全員が、一番初めに街角へ飛び出してきた凶霊に打ってかかった。ある者は彼をたたき、ある者は石をぶつけ、ある者はこずき、また眼や歯に棒切れや指を突っ込んで彼をいじめる者さえあった。彼の苦痛の叫びと瀕死の表情は私の心臓を突き通す痛みを感じさせた。しかし、大勢の凶霊たちには、これはかえって彼らをより一そうかりたてるだけで彼に対する残虐な行いはそのたびによりひどさを加えていった………。

私は、あまりの惨伏に眼をおおいながら、そこを去って、また小さな明りのほうへ向けて步き出した。しかし、いくらも行かないうち、そこでも同じような事件が起きていた。私は落着いて、この世界全休を見渡した。するとそこに私が見たものは、この広大な世界のいたる所で、同じようなことが何千何万と起きているのが見えてきたのだ。私は、これが地獄の責め苦というものなのだと、このときになって初めてわかった。

しばらく歩いて行くと私は、また階段のようなものの所へ出た。この醜い世界に耐えられない思いのしていた私は、この世界を逃れるため急いで、その階段を下っていった。
だが、そこに見たものは、さっきの世界よりなお一そう醜怪さに満ちた世界で、私はほとんど気絶せんばかりの気持になった。
凶霊たちの顔つき、姿、形もさらに醜く恐ろしいものであり、また、ここで見る一切のものは、これに呼応するように、さっきの世界よりひどい怪奇さ、醜さを見せ、鼻をつく悪臭と汚れは、またなおさらひどいものであった。

[出典:私は霊界を見て来た/E・スウェデンボルグ(今村光一訳)]

この項を読むと、これは現世における戦争の残虐さや、また階級差別による憎しみ合い、また日常生活における意識上の怒りの想念などをそのまま延長拡大したものが、霊界の地獄であることが理解されるのです。
これはつまり、地獄というものは、例えば、鬼やエンマ大王や、針の山、血の海などのような空想の産物ではなく、この世における現実の地獄のくり返しであるということになります。

天界の霊たち

一方、天界の方へ行った霊たちも、かつて昔の人が空想したような天国や極楽のような生活ではなく、これも現世をそのまま引きうつしたような生活が殆どなのです。
勿論、それは現世とそのまま同じというわけではありませんが、例えば景色、人間の形などは、霊界の中に相似の形となつて存在している、というのです。
霊界と人間界における大きな違いは、現世におけるテレパシーなどの超能力が日常茶飯事になつている点でしょう。

彼らは、自分の考えを他人に伝えるには、このテレパシーを用い、何万キロ離れたところにも意識の力を用いて直ちに伝えることが出来るのです。
また、あるところへ行こうと思えば、どこでも瞬間的に行けてしまう、いわゆるテレポートの能力も持つています。
これはつまり、時間と空間の概念が、現世とまるきり異なつていることを示しております。

彼らは、この霊で、現世のように、働き、遊び、旅行をしたり、結婚もしたり、語り合ったりしているのです。
ただ、それは現世におけるそれらと全く同じで、というわけではありません。例えば、結婚は二つの霊が互いに合流して一つの霊格になってしまい、男女別々の霊格より、はるかに髙いものになる、などや、会話の言葉は一つの言葉に非常に多くの量の意味を含んでおり、それはテレパシーを行なうためのキーのようでもある、といった点です。

霊界の太陽

「霊界にも太陽がある」と、スウェデンボルグは驚くべきことを述べております。
ただし、この太陽は現世におけるそれとは大きく異なっているのです。その特徴を述べれば、まず第一にそれは、常に胸の髙さのところに位置し、それ以上髙くも低くもならないことです。
そして、それは青白い光で、各人に相対しており、驚いたことに、その太陽は、その人が東西南北いずれへ身体の向きを変えても、常に正面に位置しているのです。
実は、この太陽からの光こそが、霊たちのエネルギー源であり、この力によって、霊界は存在していることになります。
霊界において、スウェデンボルグは、彼の指導霊によって、次にような解説を受けております。

霊界は不思議に満ちた世界だが、その不思議のうちでも、もっとも不思議なものの一つが霊界の太陽だ。霊界では、いま人々が一笑に付したよぅな"馬鹿馬鹿しい"ことが、こと太陽に閲してはもっとも普通なことなのである。そうだ霊界の太陽につねに霊たちが顔を向けた方向にある,のである。
前に記したように盤界の太陽は東の空の、それも霊たちの胸のあたりの高さにあって動かない太陽だ。この太陽はまだ霊界になれない新米の霊たちにとっては、その動かないことといい、胸の高さにあることといい、実に無気味このうえない太陽だ。まさに"何千億年の太古が胸の前にいつでもいて睨んでいる"という気味の悪い思いをさせる。
しかし、この太陽は"いとも気軽に"霊たちが顔を向けた方向へ動くのである。霊たちはその顔によって光や熱、霊流を受け入れて生きているのであるからこれでなくては困るに違いないが、それにしても、この世の感覚では全く理解できない太陽であることには間違いない。
そのうえ太陽のある方角が霊界ではつねに東ときまっており、これが霊界の方位の基準である。
だから"東"もつねに動き、しかもそれぞれの霊によって"東"は違っているのだ。
この太陽の不思議さだけは霊界の賢者といわれる霊にも解けない不思議で、いまだかつてこの不思議を解いた者は霊界にいない。
それはともかく霊たちは太陽が動こうが東が動こうが、いっこうにとん着せずに暮らしている。
これは霊たちが自分の顏の前面だけでなく周囲のどの方向をも見分けることのできる顔と眼を心の中に持っていることによる。彼らは周囲のどの方向をも見うる心の眼によって方位の感覚をあやまたずにいられるのである。

霊界の太陽は霊の生命と霊界の秩序の基礎なのだ。さっき出てきた団体の中心霊の力の基礎はこの霊流だし、また霊界の変わった礼儀も実はこの霊流の流れを乱さぬためのものである。

[出典:私は霊界を見て来た/E・スウェデンボルグ(今村光一訳)]

霊と宇宙的エネルギー

肉体の中に宿る「霊も物質」であると当会は考えているのであります。
ただ、霊は肉体に比して甚だしく精妙なる物質であり、それ自身が有している振動波は肉体のそれと較べると途方もない程の高い数値であるため、肉体的五感では知覚し得ないのです。
したがって、霊もその物質性(存在性といいかえてもよい)を維持するためにはエネルギーが必要であり、そのエネルギーはやはり宇宙を構築しているところの宇宙線によってもたらされ、それが霊界の太陽という形態のものになっていると考えられるのです。
この点、現世の太陽も、大宇宙の根元エネルギーである宇宙線を表現している一部なのであり、この太陽という能動態と地球という受動態の関係において、私たち人間の肉体的物質を涵養しているのだといえそうです。
これはいいかえれば、霊界も人間界も、ともに宇宙的エネルギーをもって育成されているのだ、ということです。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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