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【無能唱元・伝法講義録 046】有毒な人物

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毒の話

自然界を見わたすと、それが植物の世界であれ、動物の世界であれ、また鉱物の世界であっても、人間に対し「有毒なもの」をもったものが必ずあります。
植物には毒キノコ、またトリカブトの根などに猛毒があり、動物ではフグやコブラなどはその毒で人間を簡単に殺してしまいますし、鉱物でも銅に発生するロクショウや、昔、ネズミトリに使った鉱石も有毒物です。

このように、人間をとりまく自然の中には必ず、幾らかの有毒物があり、これはありのままの自然の姿です。
さて、人間社会を見わたすと、その相互の人間関係においても、この自然の摂理からはずれることなく、「有毒な人物」というものが、どこの社会へ行っても必ず幾らかはいるものです。

この場合の毒とは、その言動によって、周囲の人々に不快の念を生じさせることをいいます。そして、多くの場合、その毒は、その人の語る言葉によって、周囲にまき散らされるのであります。
通常、このような毒を有した人は、一見そのようには見えません。それどころか、往々にして魅力的にさえ見えることがあるものです。まるで、毒ある動植物がしばしば派手やかな色彩を持っているように……。

しかし、これらの人は、長く個人的につきあっているか、またはある団体の中に参加したりすると、俄然、その毒性が噴出し始めるのです。
この毒性の特徴は、目の前に相対した人に対し、言動をもって直接攻擊するというところにあります。そして、コブラなどがそうであるように、ますます興奮して、よりよけいに相手に咬みつき、それを倒し、ねじ伏せようとやっきになるのです。
このような現象は、その毒ある人が、自分および自分の意見が絶対的に正しい、と信じているところから起きるのです。そして、その上に、そのような自分に対し、エリート意識を持ってもおります。

団体の中にまじわると、この人の毒性はすぐ現れてきます。それはなぜかというと、人々と協調できないからです。
まず集合には遅れてきたり、またその団体の動きとは別行動を取ろうとしたりするのです。そして当人は、その自己中心的な行動が周囲の人々に不快の念を与えていることにあまり気づいておりません。その上に、その団体の動きや考え方に対して異説を持ち、しばしば、それを非難したりします。その結果、当然周囲からの反発をくって、あるいは反擊、あるいは黙殺無視などの報復を受けることになります。

ところが、こうなっても、この毒ある人は、それが自分のせいでそうなったのだとは思わず、だただ怒りのみを燃え立たせ、なおも相手を攻擊しようとやっきになるのであります。
あとで冷静になった時、この人はおそらく自分の毒性に気づき、多少の後悔をするかも知れませ。しかし、それを自力で冶すことも出来ず、その毒性の奴隸の境涯からどうしても抜け出られないでいるのです。

毒は伝染する

これらの毒ある人々を事前に見分けることが多くの場合できるものです。
それは、日常まだ動き出す前の表情相が、無表情で能面のようであるか、または険しいしわが刻まれているかのどちらかです。
これは、心の内の毒のしこりが、そのまま顔に現れたものなのです。
もし、あなたが、このような毒ある人と接触したならば、まずひそかに警戒しなければなりません。なぜなら、相手のその毒性を身に浴びた時、あなたの心情は灰色になってしまいやすいからです。
勿論、あなたが自己コントロールについての練達の士であり、相手からのその否定的な情報に一切まどわされないならば話は別です。しかし、これは多くの場合至難のわざです。
相手からのその毒性が身に浴びせられた時、あなたは、その相手に何らかの反駁(ばく)をします。すると相手はより強い毒を発してきます。
その時、なんと!あなたも毒を身内に製造しつつ、相手にそれを浴びせ返し始めているではありませんか!
記憶して欲しいことは、このような「毒を有することは、悩みを有することである」という点です。そうです、あなたは新しい悩みを自分の身内に製造しつつあるのです。
このような毒は、正に伝染性があることによくよく注意しなくてはなりません。

被害を避けるには

では、このような毒ある人からの被害をこうむらないようにするには、どうすれば良いのでしょうか?
一般こ世の人々はこんな場合「敬遠」という策をとるものです。すなわち、相手に毒を浴びせ返すような愚を避けつつ、相手から遠去かろうとするのです。
この結果、その毒ある人は常に孤立することになります。そして、この人は他人から阻外されたことにより、淋しさといら立ちを覚え、その結果、心内のその毒をより一層増加させて行くことになるのです。
動物界にも、例えば、象などが一頭だけ群を離れて生活するものがたまに居るそうですが、多くの場合それは狂暴で、気違い象と呼ばれて恐れられているそうです。人間もこの毒性が嵩ずると、このような気違い象になってしまうのかも知れません。

そこで、毒ある人に対峙し、その毒に接したら、まず相手にならず、出来ればその場を離れてしまうことが、自分の身を守る最も容易な方法だといえましょう。
次に、その場からどうしても離れられなかったら、どうしたら良いのでしょうか?
そのためには、古いくからいわれる「面従腹背(めんじゅうふくはい)」の技術をもって、その被害から逃れるのです。
すなわち、適当に相づちを打ち、毒にも薬にもならぬような返答をして、その場をしのぐのであります。
決してやってはならぬのは「説得しよう」としてはならぬということです。
これこそ、殆どの場合、相手の毒を増加させ、また自分の心内に毒を製造することになってしまうものです。

一般の人は自分の考えは正しいと信じており、それを曲げられることは、自己重要感を低められるものとして、必死に抵抗するものですから、この説得という方法は、まず有害であることが殆どなのです。

逆の立場から

大切なことが一つあります。
それは、もしかしたら、自分も逆の立場に立って、毒ある人物ではあるまいか?と考えてみることです。
それを診断する方法があります。それは、自分に相対した人が、自分に対し「敬遠」や「面従腹背」などの策を、しばしばとっていはしないか、と確かめてみることです。
もし、よく相手が自分に対し、しいて同調するようなそぶりを見せたり、また、いいかげんな相づちを打つように見えたら「要注意!」です。このような場合、あなたはまず「相手に毒を放った」のです。そして、その結果、その報復として、相手が遠去かろうとしているのであります。

このようなことが重なれば、毒はあなたの内に常駐的なものとなり、それは、あなたに病気あるいは災害、または孤立による淋しさなどの悩みの人生をもたらすことになります。また、時には、運気を衰えさせ、財産を失わせ、地位も失わせるもとともなります。
自己診断は常に必要です。これは、自分を自分で見張るということです。そして、毒を発見したら、直ちにそれを除去するように努めねばなりません。

では、その毒をどのようにして除去するかということになりますが、これはそう難しいことではありません。なぜなら、毒を吐くということは、要するに「相手の自己重要感を低下させる」という言動に他ならないからです。

これはしばしば、手のこんだ、そして微妙あるいは複雑な侮辱のやり方に過ぎません。
ですから、相手の自己重要感を逆に高めてやるような言動をとるように、常に気くばりするならば、あなたの有している毒は直ちに消え去って行くのであります。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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