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【無能唱元・伝法講義録 047】華のある人物

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ハナの話

これは芸能界の言葉だそうですが、よく「あの人には、ハナがある」といういい方をするそうです。「ハナ」というのは「華やかさ」から出たものと思われます。
後年スターとなる人は、若い見習い時代から、何となく人をひきつける雰囲気を有していて、それがやがて「花開く」のだともいわれています。
「そういえば、あの人は何となく、ハナがあったなあ」などと、あとで成功した人について評することがあります。
このハナはしかし、若い時代には見えなくても、あとで何かの運で、スターの座を得た時など、あとからこの花がついてきて、一種の貫禄のようになり、その人のその地位は安定したものとなる場合もあります。

この逆に、せっかくのチャンスを得ても、この花の出ない人は、一種の線香花火にも似て、すぐ消えてしまうものです。
このハナはしかし、たんなる華やかさを意味するものではありません。また、衆人の中にあって、特に目立つという言動をする人でもありません。
それどころか、このような目立ちたがり屋は、かえって人々のひんしゅくを買ってしまうことがしばしばです。言葉を換えていうならば、このような人は、ハナがあるのではなく、ただたんに騒々しいだけなのです。

ハナとは、いってみれば、ひとつの個性です。しかし、それはたんなる個性ではなくて、そこには 一種の「好ましさ」が存在しているのです。
「好ましさ」とは、人々が抱く「好意」のことでその人に対する「好感」といったようなものです。

少女ならば、愛らしさも、その一つです。でも、たんに愛らしいだけではなくて、たとえばそこに弱々しさ、一途な思い込みの強さなど、若い日の無垢な情念を示す瞳がそこにあれば、それはハナとなりましよう。
悪役でも、何となく憎めないところがある、などといわれる役者には、このハナがあるといえるものです。

二枚目スターでも、ただ,ハンサムである、というだけでは、ハナがあるとはいえません。そこには何らかの「人間的な魅力」が必要であり、それに対して人々は好感を覚え、そして、それがハナになるのです。
ーロにいえば、ハナとは多くの人から得る「好感」あるいは「好意」の多いことなのです。
人々が、その役者を見て、どんな意味にしろある「好ましさ」を覚えるならば、その役者にはハナがあることになります。

普通の社会でも

しかし、この芸能の世界の話は、何もその世界ばかりではなく、普通の人間生活の間でも通用することなのです。
たとえば、実業家については、しばしばいわれることですが「女にもてない奴は、事業も大成しない」という言葉があります。これも、男性的魅力という言葉に置きかえられたハナというものが要求されているのです。

実業家でなくても、簡単にいって「人気のある人」は、何かの成功を得ようとする際に、そのハナは大きな力となってその人を助けるものです。
営業も、そして恋人を得るのも、このハナのある人とない人とでは大きな差のつくものであることは多くの人々が承知していることでしょう。
くり返しいいますが、このハナとは、決して「派手さ」ではないのです。勿論、派手なハナというタイプもありますが、それはハナ自身ではないのです。地味なタイプのハナというものもあり、かえってそれが人々の目に魅力旳に映ることもあるのです。

これはなぜかといいますと、前述したように、ハナとは人々がその当事者に抱いた好感の現れでありますから、地味というその控え目な態度は、その好感をさそい出すことが多いからです。
このように、ハナとは人々から見た時、その人々に好感を抱かせるその実体は、ーロにいえば、それは「魅力」です。そして、魅力とは要するに引きつけることですから、このハナのある人とは磁力的吸引性を身につけていることになります。

一方、毒のある人とは、このハナのある人の反対の意味の人で、この人は他人を引きつけるかわりに、遠くへ押しやるのです。
つまり、毒とは魅力の反対の意味の力を持っていることになります。これは人々に不快感を与え、その人を遠去ける結果を6たらします。

以上のことから、人間のタイプを三つに分けて考えることが出来ます。それは
①毒のある人
②ハナのある人
③毒も>ハナもない人
の三つのタイプです。

流動的な毒とハナ

しかし、ここで誤解しないようにして頂きたいのは、この毒もハナも決して固定的ではない、という点です。
毒ある人、あるいはハナある人といっても、それは総体的にそうであるというわけで、決して、一日中、毒ばかり、あるいはハナばかりの人というものがあるわけではありません。人間とは、要するにこの毒とハナの両面の可能性を常に持っているわけであり、ただそのどちらかが、圧倒的に多く出ている場合、その人は毒あるタイプか、またはハナあるタイプかに分けられるわけです。

毒を多く発揮しながら、ハナのある人もおります。芸能人や芸術家に、このようなアンバランスなタイプが多く見うけられます。彼らは、自らのこの毒に悩みながら、その毒を解消するために芸術的昇華を創造の上においてなし、そしてそれが結局は彼らのハナとなるようであります。

恋人同志のいい争いについて考察してみましょう。
もし、相手の不誠実な態度を恋人の片方がそれをなじり責めたとしたら、その時正に責めた本人は相手に対してf毒を吐いている」ことになるのです。
この場合、その責めた内容が正しいかどうかは全然別問題であります。相手がいかに間違っていようといまいと、それはこの場合重要なことではありません。
非常にはっきりしていることは、相手がこの毒によって、不快感を覚え、そしてその場から逃げたがっている、という点です。

そして、ここで全く愚かなことであるといえるのは、この当事者が「毒を吐きつつ、相手の心を自分の方へ引きつけよう」としていることです。
これは、完全に原理に反しております。すなわち、全力をあげて相手を遠くに押しやりながら、相手を自分の方へ引き寄せたいと思っているからであります。
日常生活において、しばしば毒を吐く行為をしている人には、その毒の雰囲気が身についてしまいます。

その人の表情は、固く無表情であったり、けわしいものであったりし、歩き方、坐り方、人を見る動作にさえ、かたくなな感じが現れてくるのです。
それで、もし、あなたが人々の中に入って行った時、そのグループの中にあって、自分一人が団体的なその動きからはずれたり、または周囲の人と意見が対立していい争ったりしたならば、自分には毒があるのではないか、と一応チェックする必要があります。

また、あなたが人々をひきいて、何かの事業なり運動なりを始めようとしても、常に人心が離れてしまい、一人孤立するようであるならば、同じく、この自分の毒について考えてみるべきでしょう。

毒も必要である

しかし、人生においては、毒を用いることも必要なのです。
ここを誤解しないで頂きたいのですが、私は決して、毒をゼロにして、ハナばかりにせよといつているのではないのであります。
毒を用いる時とは、一体どんな時なのでしょうか?また、毒を用いてはいけない時とは一体どんな時なのでしょうか?

この答えは簡単です。それは「敵に対して毒を用いてよく、味方に対して毒を用いてはいけない一 というだけのことなのです。
敵とは、あなたにお金を失わせたり、あなたを孤立させたり、あなたを悩ましたりする人で、その人といることによって利益の生じない人です。
こういう人とは離れた方がよいと判断した際においてのみ、毒を用いてもよいのです。

しかしながら、この毒の使用に際してはよくよく慎重であるべきであります。出来ればこの毒を用いずして、その人と離れられれば最上であることをよくよく銘記しておかねばなりません。
一方、自分の味方、あるいは味方に引きつけておきたい人に対しては、決して毒を用いるべきではありません。
そのためには、相手に何かを強制したり、また態度をあらためるように強要したりしては不味いのです。およそ、言葉をもって相手を矯正しようとすることは、毒を発する危険性が常にあります。
すなわち、説得という行為には常に危険性をともなうのです。
相手を自分に引きつけておくためには、毒の代りに、ハナを身において発揮するよう努めるべきです。

ハナを身につけるには

では、どうやったら、このハナを身につけることが出来るのでしょうか?
答えは無数にあり、そのどれもが正しい、すなわち一面の真理をもっているものです。「優しさ」「寛大」「陽気」などの美徳もその一つでしょう。
しかし、多くの場合のハナとは、生まれつき備わっている何かの雰囲気によるちのが非常に多いのです。といって、自分にはそういうものが本来ないのだ、といって諦めてしまうのは早計です。
後天的に、ハナを少しづつでも身につけて行くことは出来ます。では、その秘訣は?
最も効果的な方法は「人生と芸術について考え、人々とそれらについて語る機会を積極的に求める」ということです。
ハナは人々の興味、好奇心をさそい出すところにあり人々は常に精神的向上を願っているのですから、その欲求に応えられるように自分を成長させていけばよいのです。

人生について、詩について、幸福について少年少女の頃真剣に考えたように、その若い心の火を常に燃え立たせてあろうと努めているならば、あなたの身には着実にハナの雰囲気がただよい始めることでありましよう。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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