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【無能唱元・伝法講義録 051】主義を破る怖れは有害

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「主義を破る恐れ」は有害

霊的能力を高める食物として菜食主義の勧めをしましたが、これは同時に健康法または長寿法としても推奨できる食物であることは、すでに世の中には広く知られているところです。
しかし、これを絶対的な主義や戒律のようにして、魚肉は一切摂らないなどの生活を守ると、普通社会人としては色々なさしさわりも出てくるのです。

私の知人の中年男性で、玄米自然食を一家で行なっている人がいます。
聞くところによると、この人は、外食は一切しないし、家族の人もそうしているとのことです。
これはなぜかというと、一旦おいしいものを食べてしまうと、自然食が不味くなってしまうからなので、この人は「私はおいしいからといって食物をとるのではなく、健康のために食物をとるのだ」と少々誇らしげにいうのです。
さて、この人がある時、どうしても何人かの人々と寿司屋で食事をしなければならなくなった時、ついつい人に勧められるままに、マグロの寿司を食べました。
すると驚いたことに、一時間もしないうちに顔中が赤くなり発疹が一杯に吹き出てきてしまったまったとのことです。

これには多分に心理的原因の面もあり、戒律を破ってしまった罪悪感と怖れの意識が手伝ったものでしょうが、それにしても、これも一種のストレスであり、魚肉に対する肉体的耐性、が衰えてしまったものと見ることができるのです。

清水に住んでいる魚は、泥水に入れたらすぐ死んでしまうかも知れません。また、泥水の中にしぶとく生き続ける、本来にごった水に対し耐性の強い魚もいるかも知れないのです。
整体術、ヨガ、自然的生活運動などを基盤としたいわゆる「シンプル・ライフ」は、当円成会もそれを推奨するのでありますが、ここには、それをあまりに厳しく捕えるあまりに、自分自身をしばってしまう危険性もあるのです。

例えば、そのような行の教祖的人物が、何十年も注射や薬をやったことがないところへ、注射を何か打ったら、その反応が強すぎて急死してしまった、などということもあったようです。
また、特に一つの主張にかたまり、その教義の普及をしている指導者が、案外と短命であって、その信奉者をがっかりさせるなどということもままあることです。

余裕が大切

これは良寛さんの逸話です。
田舎の貧乏な家へ良寛さんが泊めてもらった時、旅の若い雲水も同宿しました。
ところが夕べの膳に、ニシンのコブ巻が出されたのです。当時は、僧は生臭いものは食さないということが建て前になっていた時代です。

雲水の若い僧は、このニシンのコブ巻に手をつけませんでしたが、良寛は旨そうにそれを食べてしまったのです。若い僧はにがにがしげにそれを眺めておりました。
さて、その夜、ノミやシラミが猛烈に出て、この若い僧はかゆくてかゆくて眠ることも出来ません。ところが、かたわらを見ると、良寛さんはぐっすりと寝込んでいるのです。
翌朝、若い僧は、一晩中眠れなかった赤い眼をこすりながら、良寛さんに、なぜあんなにぐっすりと眠れたのか尋ねました。
すると良寛さんはニコッと笑って「ニシンのコブ巻が食べれれば、あなたも眠れるようになりますよ」と答えたそうです。

思うに、良寛さんは、その宿の人の心づくしのご馳走を頂くことによって、その心づくしに応えたのでありましょう。
つまり、自分の戒律を守るという自己中心的な考えと、宿の人の好意に感謝するという他人への思いやりを比べた時、ためらわずに後者を選んだ良寛さんの偉大さがそこに示されております。

もとより、良寛さんは人も知るとおり、現代のシンプルライフを地で行ったような人であります。
五合庵における質素なその生活ぶりは特に有名です。
しかし、良寛さんの偉大さは、その上に「こだわりを捨てた」という点にあります。戒律も道徳も、あらゆる主義主張、イデオロギーも、それは人間のために打ち立てられた考え方というものであり、その考え方のために人間は存在するのではないのです。

ところが、世の多くの人々は、この本来を転倒し、人智人工の法則をもって絶対とし、天地自然の力に対し盲目になるのです。そしてそれによった異和感が、すなわちその人の不幸感となって生じるのであります。

こだわりを捨てれば、余裕が出ます。そして余裕が出れば、さまざまなことが可能になってくるのです。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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