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【無能唱元・伝法講義録 070】魅力の原理

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魅力とは何か?

多くの人は、自分が他の人に対して何か魅力的でありたいと願っているものです。
にもかかわらず、その願いとは裏腹に、対人関係をそこなったり、また人の心が自分から離れたことについて、自分自身に失望するのです。
では、そもそも、魅力とは一体どんなものなのでしょうか?
この質問に対する答えはこうです。
「それは、価値観の発生」なのです。これはつまり、ある人があなたに何らかの価値を見出し、それに興昧を覚えたという意昧であります。
人は無価値であると感じたものには興味を引かれません。ですから、與味を持つということは、そのものに対して何らかの価値を見出した、ということになります。
しかし、魅力とは、その「価値観の発生」だけではまだ物足りないのです。実は、その上に、その価値がその人に何らかの利益を及ぼす可能性があるものでなければならないのであります。
ここに、当円成会が、一つの原理としてかかげる言葉があります。それは、魅力とはいかにして発生し、いかにして消え去るかという原理について述べた言葉です。

与えればよい
答えは、おそろしく単純です。
すなわち、あなたは他人に何かくれれば、あなたに「魅きつける力」は生じ、あなたが他人から何かを取ろうとすれば、その力は即座に消えてしまうのであります。
これは、答えというより、むしろ「原理」といった方がよいでしょう。多くの場合、真理とか原理といったものはこのように至極単純なものなのです。
例えば、こうです。あなたはハムを一枚手に持って、犬を呼んだとしましょう。
すると犬は一散にあなたのもとへ駆けてきて、シッポを一生懸命振るでしょう。つまり、このハ厶を犬にくれようとした瞬問に、「犬はあなたに魅きつけられた」のです。

この「物を与える」ということは、その人に魅力を発揮させる最も原型的なその例です。そして、人間社会の場合、この「物」は、しばしば「お金」によって代表されます。つまり、一口にいえば、金ばなれのよい人は好かれ、ケチな人は嫌われるという訳です。
しかし、このようなことを私がいえば、多分、読者の皆さんの中には
「そんなことは解っている。しかし、人に物やお金を与えつづけていたら、自分が貧乏になってしまい、自分の生活が成り立たなくなってしまうではないか?」という疑問を待たれる人が、きっと出てくることでしょう。
確かにそのとおりです。落語に、昔、吉原で派手に金を使い、皆にお大尽、お大尽とおだてられ、遂に無一文となると
「金の切れ目が縁の切れ目」とばかり、手の裏を返したような冷たい仕打ちを受ける話があります。
お金や物を人にあげることは確かに大きな魅力をその当事者にもたらすものではありますが、しかし、お金や物は誰れでも無限に持っているものではありません。そして、それらの持っているお金、つまり財産は、あなた自身の生活を守り、他人の厄介にならないための大切な貯えなのです。

財産を保待することは、自己生存本能という、「生きていたい」衝動がそのもととなっております。つまり、自分の生命存続のための安全性をそこに求めているのであり、それはまた、「他人に迷惑をかけない」ためには、社会人としては必要不可欠の行為なのです。
ですから、人に好かれたいために(これが魅力の本態)その大切な財産を他人に与え尽してしまうことは、結局、他人の厄介になって助けてもらうことになりかねません。そうすれば、その時点で、その人は他人から嫌われることになってしまう訳です。
しかし、この説明は、
「魅は与によって生じ、求にによって滅する」の原理を明らかに証明もしております。つまり、与えれば好かれ、求めれば嫌われるという点で……。

形なきものを与える

ここで、もう一度、最初犬の話に戻って頂きたいのです。
犬はハ厶に魅かれて、あなたのもとへ走り寄ってきました。そして、そのハムを与えてくれるあなたに対して好意を持ったのです。
しかし、この時、この犬が
「一生懸命シッポを振っていた」というこの点に、どうか注目してください。犬がシッポを振るのは、人間でいえば、お愛想笑いをしているということです。つまり、これは彼の好意を態度で表現していることであります。
すると、それを見て、ハムを与える方の側も、なぜか嬉しくなるのです。この時、あなたは、ある種の喜びを与え、そして、それは確実に
「犬の側から与えられた」ものなのです。そして、それは、その犬の魅力になったのであります。
ここで私がいいたいことは、あなたはハムをもって犬に対して魅力を生じ、犬はシッポを振って、あなたに対して魅力を生じた、という点です。つまり、あなたは形あるものを与え、犬は形なきものを与えたのですが、共にそれは相手に対し喜びを与えたという点では一致しているのです。

ではここで、この二者に生じた喜びというものについて、その違いや特質とはどんなものなのか少し検討してみましょう。
あなたのハ厶が犬に与えたものとは、それは、犬の「生存本能」その欲求を充足させたからなのです。この本能とは、裏返して考えるならば、それは飢えに対する恐怖」によって推進される欲求です。前記の財産や貯えも、要するに、この恐怖を緩和するための一方策なのであります。

さて、ハムというエサが犬に与えられることは、この飢えに対する恐怖をやわらげ、犬に安心感をもたらします。そして、それはおいしいという味覚の快感をともなって、彼に喜びを生じさせるのです。
この「生存本能への充足」に対して、犬からあなた側へ与えられたものは、
「群居衝動」という本能的欲求を充足させたものであります。
人間は群れをなして生きる動物です。つまり一人では生きられないのです。それで、家族・学校・会社・友人・恋人同志などから大きくは国家、人種に至るまで、人はグループを作り、その中にある安らぎを見出します。これがつまり群居衝動です。

[「魅」無能唱元著より引用]

充足への期待感

以上のことを総合して考えてみれば、魅力とは、その魅力の発信者と受信者の間において、受信者にとっての「ある価感感」が生じたことを意昧していることが解ります。
そして、この場合の価値感とは、受信者の五つの本能的衝動を充足させるもの、あるいは充足させるのではないかという期待感を意味するのです。

Ⅰ自己保存(生存本能)
Ⅱ自己表現(自己重要感)
Ⅲ性欲
Ⅳ群居衝動
Ⅴ知識欲(好奇心)
(これらの順序はどうでもよい)

私たち人間は、これらの欲望を充足させたがっており、それを充足するものに対し、価値を見出すのです。
そして、その充足を与えてくれるかも知れない信号を発した人に対して、気持ちがひきつけられます。
実際のところ、この世を見渡してみると、この五つの本能的衝動をうまく充足できないで悩んでいる人が圧倒的に多いのです。
何と多くの人々が、自己重要感の低下に悩み、そして自己の群居衝動が傷つけられていることか!
そして、低められた自己重要感を一気に浮上させようとし、自己を高く表現するために、会話という手段を用いて、なお一層の失敗を重ねるのです。すなわち「自慢」や「けなし」によってです。

他人を非難したり、ケチをつけ、自分の劣等感を必死で救い上げようとする、この無意識的行動は、多くの友の自己重要感を傷つけ、低下させます。こうして、この友は去り、その人の群居衝動は傷つけられ、その結果、自己嫌悪さえ、その人に生ずるに至るのです。
生存本能に関しても、会社で上司に一寸叱られたことで、すごく悩んだりすることがあるのは、それは意識的な「飢えへの恐怖」であり、最も原始的、動物的衝動の現われです。
考えてみれば、私たちの文明社会では、飢え死ぬなどという事態が起こり得ないことが理解され、その結果、この動物的恐怖心が取り除ける筈です。にもかかわらず、この恐怖の実体がそれと解らぬまま、悩み続けている人が多いのです。

さて、私たちが他人に対して魅力的であるためには、まず、自分自身の五大本能が、自分自身の手で充足されておらねばならないことを、ここで明らかにしておきたいと思います。
他人の助けを借りず、自ら自分の五大本能を充足させてしまう。すると、あなたは、やすやすと、人々のそれを充足させてあげることが出来るようになるのです。
その結果、あなたは、多くの人々に対する魅力が発揮され、人々は友として、あなたの周囲へより一層集り慕い寄ってくることでしょう。

こうなると、あなた自身の群居衝動も充足され、またあなたの自己重要感も高められるのです。
こうして、あなたには充実感が訪れ、それは幸福感となって、あなたを包みます。そして、その幸福感は、なおも人々に分かち与えられて行くこととなるのです。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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