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【無能唱元・伝法講義録 077】空間についての解釈

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未来をどう見るか

「現代文明は爛熟期に至った」と主張する人が多勢おります。彼らは、人類の未来を非常に否定的に見、幾多の暗い予言をしております。
当会の根本的教義アラヤ識論は、すべての現象は、意識するところの内容によって描き出される、というものですから、このような絶望的予言によって、それをイメージするならば、本当にそのような予言は達成されてしまいかねないのです。

暗い未来を想念すれば、そのとおりに暗い未来は出現し、明るい未来を想念すれば、これまた明るい未来が出現します。まことに、アラヤ識の力は偉大といわねばなりません。しかし、同時に、その恐ろしい力を回避する私達の霊的真我を、より一層高めねばならないのです。

「文明が爛熟期に至った」という末世的思想に反して、
「科学はやっと揺籃時代を脱して、幼稚園時代に入った」というように考える人もおります。そして、わが円成会も正にこのように希望的に見る学徒の集まりなのです。

科学は常に神秘を探求する

電子は粒子か波か、という論争は科学界においては、依然として終止符は打たれておりません。
この問題に対して、当円成会では、一つの仮説を立てており、これを一応の結論としているのです。

当会のその結論とは、次のとおりです。
「電子は粒子です。しかし、その周辺に波動を生じさせるのです。そして、時には電子が消滅して、その波動だけが残ります。そしてまた、その波動も消滅して空の世界へ返るのです」
ですから、電子銃から発射されたのは確かに粒子なのですが、蛍光板に映しだされたものは、その粒子に付随している波動の働きなのです。

これはまた、次のように考えることもできます。
電子は、波動によって生じさせられ、その波動が働きを現すので、電子自体が働いているのではない、と……。これは、銅線の中を流れる電流にしてもそうです。電子自体が線の中を流れ、移動して行くのではないのです。電子はゆさぶられ、動き、あるいは変貌、またあるいは消滅、生成など
がおこなわれ、その際に発生した波動が線内に波及するのであります。

波は空間内を通じて進む

ここで又、当会独特の考え方になりますが、この粒子を媒体として引き起こされた波は、空間を通じて拡がり、あるいは進んでいくのです。これは銅線の中であれば、その線の中の空間の部分を通って、波及して行くのであります。では、銅線内の空間とは、どういうことか、という問題になります。

原子とは大空間の固まり

ご存知のように、あらゆる物質の諸元素を構成するものは「原子」と呼ばれるものです。そしてこの原子の内部の構造は太陽系によく似ていて、まんなかに原子核という重い粒子が太陽のようにいて、その廻りを惑星のように電子がまわっているのです。
ここで注目して頂きたいのは、原子核や電子の間には、想像を絶するような広大なすきま、つまり空間がある、という点です。すなわち、固い物質も、それを根元的に見ればすきまだらけの空間そのものであり、そのところどころに、恒星や惑星が点在しているというような「小宇宙的」なものになってしまうのであります。そして、波動は正に、この空間の中に拡がり進んで行きます。だから、銅線の中にも広大な空間が在り、電子の変容あるいは急激な動きによって生じた波動は、この空間を媒介者として拡がり進んで行くのです。

[出典:唯心円成会伝法講義]

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