福音派としてキリスト教を、未開の「ピダハン」という少数部族に勧めに行こうと思ったらそいつら言語『数』もなくて『色』もなくて『創世神話』もなくて価値観ひっくり返り過ぎて無神教になって家族と離婚した話。
図書館で借りて読んでみましたが、ものすごく啓発されました。
著者は宣教師としてアマゾンのピダハン族(およびその周辺の部族)を布教伝道するため、彼らの言葉を研究するのに三〇年を費やした。
結果、既成概念が崩れ落ちるような衝撃を受けたそうです。
以前もアマゾンのとある部族では、『幸せ』という言葉(概念)がないということを知って驚いたことがありますが、ピダハンの文化には、右←→左の概念や、数の概念、色の名前さえも存在しない。
創世神話もない。というのです。
当然、神の概念がない!
ピダハン語には、たとえば『心配』という言葉(概念)がないので、彼らは心配することがない。文明人があたりまえのように使う言葉(概念)が、ピダハン語にはないのです。
そう考えると、ピダハン語訳聖書をつくるときに、ものすごく苦労するだろうなあ……と思っていたのですが……
著者は最終的には、なんと!無神論者になってしまいました。
というオチまでついていました。
ピダハンという少数民族は、「挨拶がない」「子どもが刃物で遊んでても止めない」「大事な農具を川に捨てる」。
- イビピーオ
ピダハン語の本質。直接体験、目の前にあることを重視する文化。つまりイビピーオとは、仮定とか創作とか伝聞でなく、未来とか過去とかではない、今、目の前でここで起きている出来事のこと。
「数もないし色もない言語はなぜ生まれる?」「キリスト教を布教したら爆笑された」「いびきをかくとジャガーが来る」などの激アツ話がたっぷりです。
アマゾンのジャングルの奥地に、世にも珍しい人たちがいます。 珍しいのは、頭の中身です。 今、現在、見える範囲のことしか認識できません。 過去も未来も想像できません。 数字や色も持っていません。 「心配」って言葉を持ってません。 比較を表す言葉もありません。 それが、ピダハン族です。 いったいどんな暮らしをしてるのかというと、それが、 世界一幸せな人たちだったんです。 えっ、どういうこと? その謎を、前頭前野の機能から解明してみます。
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著者のピダハン研究を、認知科学者S・ピンカーは「パーティーに投げ込まれた爆弾」と評した。
ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。四〇〇人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。
本書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描きだす科学ノンフィクション。それを三〇年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。驚きあり笑いありで読み進むうち、私たち自身に巣食う西欧的な普遍幻想が根底から崩れはじめる。とにかく驚きは言語だけではないのだ。
ピダハンの文化には右/左の概念や、数の概念、色の名前さえも存在しない。神も、創世神話もない。この文化が何百年にもわたって文明の影響に抵抗できた理由、そしてピダハンの生活と言語の特徴すべての源でもある、彼らの堅固な哲学とは……?
著者はもともと福音派の献身的な伝道師としてピダハンの村に赴いた。それがピダハンの世界観に衝撃を受け、逆に無神論へと導かれてしまう。ピダハンを知ってから言語学者としても主流のアプローチとは袂を分かち、本書でも普遍文法への批判を正面から展開している。