道は冲しきも、これを用うれば或た盈たず
道(タオ)は天地に先立ち、あってあるもの。
目に見えず、からっぽの容器のように空虚だけれど、
例えば無限大のメモリ容量を持つRAMのように
無限の効用性と無尽蔵の働きを持っている。
それは、奥深く無限のエネルギーを秘め、
一切万物がそこから生ずる根源、究極的な実在のようだ。
そのなかにあって、この世界の差別、対立、闘争、賢しらなど
絶対的な道(タオ)の前には、あるがままの様相を呈する。
和光同塵(わこうどうじん)
→56章:挫其鋭。解其紛。和其光。同其塵。
其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵れを同じくす。
道(タオ)は、静寂で深淵な水をたたえた湖のように、
永遠に変わることなく、存在していたかのようだ。
その始原を知るべきもないが、
それはどうやら、人びとが神と名づけた存在より、
遥か以前から存在しているらしい……
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【参考文献:白文/書下文/訳】
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道。冲而用之或不盈。
淵兮似萬物之宗。
挫其鋭。解其紛。
和其光。同其塵。
湛兮似或存。
吾不知誰之子。象帝之先。
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道は、冲しけれども之を用いて或に盈たず。
淵として万物の宗に似たり。
其の鋭を挫き、其の紛を解き、
其の光を和らげ、其の塵れを同じくす。
湛として或に存するに似たり。
吾れ誰の子なるかを知らず、帝の先に象たり。
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道は冲っぽで、いくら注いでも一杯になるということがない。
それは奥深くて万物の生まれ出る大本のようだ。
それは万物の鋭さを挫き、万物の紛れを解きほぐし、
万物の輝きを和らげ、万物の塵れに己を同じくする。
それは深くたたえて常存不滅の存在のようだ。
わたしにはそれが誰の子供なのか分からない。
どうやらそれは天帝に先立つ存在のようだ。
※朝日選書:老子(福永光司)より引用
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[老子:第四章無源]
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