老子現代現場訳

【老子 第37章】道常無爲~無為にして為さざるは無し

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無為にして為さざるは無し

為さざること無き、無為。

大自然のいとなみは、道(タオ)の働きによって、自ずから然り、ただ淡々と無心になされる。

人間のように何らかの使命感や目的意識持ったり、作為、打算的意図を持って何かをしてやろうと力んだり騒いだりアッピールしたりしない。

『花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ』

川は流れる橋の下♪ ひろし

雲が流れる丘の上♪ しんたろう

おーい雲よ、嗚呼河の流れの様に穏やかに此の身を任せて、悠々と莫迦に呑気さうぢゃないか。
何処まで行くんだ?ずっと磐城平の方まで行くんか~?

知らん。

水はただ淡々と流れるべくして流れ、雲はただ風の吹くまま流される。

何のために?何の意味が?どんな使命が?と問われても答えようがない。
それらの事象、現象は、人間を喜ばせるためでも悲しませるためでもない。

運がいいとか悪いとか、ツイてるとかツイてないとか、それは人間がただ己れの感情を移入して、勝手に喜んだり悲しんだりしているすぎない、極めて自己中心的な価値判断なのである。

ハムソーセージおいしそう、ハムソーセージたべたいナ♪

って、牛や豚は人間に喰われるために生まれてきたわけでなく、ゴキブリだってスリッパでひっぱたかれる星の下に生まれてきたのではない。

神さまはわたしたちの喜ぶ姿をみたいがために万物をおつくりになられました。

って、教えられても、ゴキブリ嫌いの女子にとってゴキブリを見るだけで神さまを不信するであろうし、アタマデッカチの神さま信者にとって、あの嫌われ者のゴキブリの存在意義とは如何に、などといくら頭で考えてみても答えなど出るはずがないのだ。

なぜなれば、牛や豚やゴキブリは、ただ生まれてきたから、自ずから然り、ただ淡々生きているだけであり、死を向かえればただ静かに死んでゆくだけなのだ。

これが『無為にして為さざる無きもの』の世界である。

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【参考文献:白文/書下文/訳】
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道常無爲。而無不爲。
候王若能守之。萬物將自化。
化而欲作。吾將鎭之以無名之樸。
無名之樸。夫亦將無欲。
不欲以靜。天下將自定。
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道は常に無為にして、而(しか)も為さざるは無し。
侯王(こうおう)若(も)し能(よ)くこれを守らば、
万物は将(まさ)に自ら化せんとす。
化して作(おこ)らんと欲すれば、
われ将にこれを鎮むるに無名の樸(ぼく)を以(も)ってせんとす。
無名の樸は、それまた将に無欲ならんとす。
欲あらずして以って静かなれば、天下将に自ら定まらんとす。
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道の本来的な在り方は、人間のような作為がなく、
無為でありながら、しかも為さぬということがない。
もしも支配者が、この無為の道を守ってゆけるならば、
万物はおのずからその徳に化せられるであろう。
もしも万物がその徳に化しながら、
なお欲情を起こすとすれば、わたしはそれを「無名の樸」
――荒木のように名を持たぬ無為の道によって鎮めよう。
荒木のように名を持たぬ無為の道であれば、
さても万物は無欲に帰するであろう。
万物が無欲に帰して心静かであるならば、
天下はおのずからにして治まるであろう。

※朝日選書:老子(福永光司)より引用
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[老子:第三十七章爲政]
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