老子現代現場訳

【老子 第41章】上士聞道~本当に大きいものは完成することがない

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上士は道を聞きては、勤めてこれを行なう


弱肉強食(弱貧強富)のこの憂き世では、有為の教えがありがたがられる。
あえてことさらなことをしない道(タオ)の教えは、有為の人たちからみると、
訝しがられたり、トンデモ本の類かと思われたり、ガッコのおべんきょうのひとつだったり、机上のリクツであったり、批判すらされないようなシロモノだったりする。

端的に言えば、道(タオ)は憂き世で生きている人には、なかなか理解されないということ。

理解されない(理解できない)ならまだしも、ロクに道(タオ)の教えに耳を傾けもせず、

「アルガママとかナニモシナイとか、へッ、キレイゴト言ってんじゃないよ。労働も何もしないであさっぱらからパソコンにむかって詩とか散文とか書いてやがって、んまあいいご身分だこと、お~ほッほッほッほ、仙人みたいにカスミでも喰ってな」

なんてなことを言う人もいる。
嘲笑され、後指さされ、石を投げつけられる。
でも、それは仕方ないこと。
この憂き世で『あるがまま』に生きている人はほんとうに少ない。

道(タオ)は、憂き世で楽に生きる智恵。
有為の教えをばりばり実践してきた人にこそ響くコトバである。
若いときは、いろいろな経験体験、失敗成功、痛い思いオイシイ思いをしてもいいんじゃないか。
今現在、充実してばりばりやっている人に道(タオ)の教えは要らないだろう。

有為を実践して実践しまくって、ちょうどゴムが伸びきった状態になれば、人は自ずから元の戻りはじめる。
違う自分になろうとして、ことさらな、賢しらなことをやっていれば、いつか歪みがでてくるから、そこでちょっと力を抜けば、だんだんとほんとうの自分にもどっていく。

『ナンバーワン』の生き方に疲れた人が、『オンリーワン』で慰められても、それはただ他と差別しているだけのこと。
わたしだけ特別ってことは他は特別じゃないってことだから、うぬぼれが増すだけ。
わたしだけ特別になりたいから、ことさら無理をする。同じこと。

ゴム風船はふくらますだけふくらませたらパンクする。
パンクしなくてもゴムはのびきる。空気を抜いたらぶらぶらのびろんびろん。

とある一家のおやじ。
勤め人時代は企業戦士となって大いに働き、大いに稼ぎ、家族からも大いに期待され依存されたおやじはいま、黄昏てリタイアした。
職歴部長、趣味部長、特技は部長、やれること部長くらいしかないおやじ。
いまはもう部長をやることもない。家にいてもやることない。
いつもうすぼんやりしているが元気にしている。
おやじ元気で居場所ない。

おやじがいるのかいないのか寝てるのかおきてるのか気配がない。
どこかにぷいと出かけていったとおもったら、ふらと帰ってきて冷蔵庫をあさる。
飯台に置いてあったサッポロ一番みそラーメンが無くなっていたからきっと自分作って食べたのだろう。
もともときれいずきのおやじだからどんぶりも鍋もキレイに洗っている。
汁まで飲み干すから、くずラーメンが排水溝にからまらない。
トイレ掃除教、元信者。勤行習慣が抜けないからトイレはいつもぴっかぴか。
いつも座って用を足すから床にしぶきの痕跡を残さない。社会の窓に黄色いシミをつくらない。
下足番で鍛えられたから玄関の履物はキチッとそろえる。

おやじ元気で居場所ない。

ホメラレモセズ、クニモサレヌ、そんなおやじこそ道(タオ)を実践している理想のおやじなのだが、こういうおやじを憂き世ではヤクタタズ、カイショナシ(甲斐性無し)と呼ぶ。

道(タオ)は憂き世でなかなか理解されぬもの。
だから、いにしえのコトバを引用して説明してみよう。

『大方は隅無し(たいほうはぐうなし)』
『大器は晩成す(たいきはばんせいす)』
『大象は無形(たいしょうはむけい)』

四方八方、地平線が見えるほど広大な土地は四隅が見えない。
ほんとうに大きなものは、いつまでたっても完成することがない。
できあがるのが晩(おそ)い。未完であるから用途が限定されない。
ほんとうに大きなものは、大きすぎて実体がつかめない。

モーニング娘。はイエイエイエイエイ、わかりやすい。
たそがれオヤジ。はタオタヲタヲタヲ、わかりにくい。

道(タオ)は、この伝説のたそがれオヤジ。のように姿が見えず、いるかいないのかわからない影に隠れたような名もなき得体のしれない存在。
だが、常によくそのエナジーを他のものに貸し与え、それによって一切現象を発現せしめる、生々流転の根源である。

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【参考文献:白文/書下文/訳】
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上士聞道。勤而行之。
中士聞道。若存若亡。
下士聞道。大笑之。
不笑。不足以爲道。故建言有之。
明道若昧。進道若退。夷道若類。上徳若谷。
太白若辱。廣徳若不足。建徳若偸。質眞若渝。
大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形。
道隱無名。夫唯道善貸且成。
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上士は道を聞きては、勤めてこれを行なう。
中士は道を聞きては、存(あ)るが若(ごと)く亡(な)きが若し。
下士は道を聞きては、大いにこれを笑う。
笑わざれば以(も)って道と為(な)すに足らず。
故に建言(けんげん)にこれあり。
明道は昧(くら)きが若く、進道は退くが若く、夷道(いどう)は纇(らい)なるが若し。
上徳は谷の若く、広徳は足らざるが若く、建徳は偸(おこた)るが若し。
質真(しつしん)は渝(かわ)るが若く、大白(たいはく)は辱(じょく)なるが若く、大方(たいほう)は隅(かど)無し。
大器は晩成し、大音(たいおん)は希声、大象(たいしょう)は形無し。
道は隠れて名なし。
それただ道は、善く貸し且(か)つ善く成す。
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すぐれた人間は道を聞くと、努力してそれを実践するが、
中等の人間は道を聞くと、半信半疑の態度をとり、
下等な人間は道を聞くと、てんで馬鹿にして笑いとばす。
彼らに笑いとばされるくらいでなければ、
本当の真理とはいえないのだ。

だからこんな格言がある。
本当に明らかな道は、一見すると暗いように見え、
前に進む道は、一見、平かでないように見える。

最上の徳は谷間のように虚しく見え。
真に潔白なものは、一見、うすよごれて見え、
真に広大な徳は、一見、足りないように見える。

確固不抜(かっこふばつ)の徳は、一見、かりそめのもののように見え、
真に質実な徳は、一見、無節操なように見え、
この上なく大きな四角は、隅(かど)というものをもたない。

真に偉大な人物は人よりも大成するのが晩く、
この上なく大きな音は、かえってその声が耳にかそげく、
至大の象をもつものは、かえってその形が目にうつらない。

そして、これらのコトバから知られるように、
道は隠れて形が見えず、
人間の言葉では名づけようのないものなのだ。
げにも道こそが万物に惜しみなく施して、
施しつつまた、その存在を全うさせる。

※朝日選書:老子(福永光司)より引用
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[老子:第四十一章同異]
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