老子現代現場訳

【老子 第67章】天下皆謂~三宝の徳

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天下皆我れを大なるも不肖に似たりと謂う

あたしの話を聞いたシトはね、みんなきつねにつままれたような面相して言うんだよ。

「ご隠居、えれえでけえハナシなんですがね、あっしにゃあなんだか雲をつかむようなハナシでどうにもこうにもハァ訳がわからねえんでして……」

訳がわからねえ、なんていってるけど、ほんとは腹ンなかじゃあこう思っているんですな。

「国を治めるだの聖人がどうしたとかハナシはでけえが、このご隠居、やってることといやぁ、一日じゅううすぼんやりして猫なんぞ撫でてるぐれえなもんだ、ええ?いってえ起きてんのか寝てんのかさっぱりわかりゃしねえってなもんだ。ご隠居、とうとうヤキがまわっちまったみてえだな、こりゃまいったなァ」

あたしがヤキがまわっちまったように思うのは、ま、仕方がないことですな。

そらぁ大きいなんてもんじゃあない、道(タオ)のハナシがあまりにも大きすぎるから、訳がわからないのはあたりまえのことでしてな。

道(タオ)のハナシにゃ、オチなんぞどこ探してありませんから、おもしろくもないおかしくもない、そんなハナシを聞くのはきっと退屈なんでございましょうな。

あたしが、わかりいい落語のようにおもしろいハナシでもってアレンジすることは、まァ、可能ですよ。

でも、そんな落語のようなハナシでもってほんとうの道(タオ)は語れませんですからな。

ところで、あたしには三つのポリシーがあって、それをいつもしっかり守っている、その実践ってえのがまさしく道(タオ)の実践ということなんですな。

ひとつは、母親のような慈愛の心を持つこと。

ふたつめは、何事もつつしんで無駄なエネルギー使わないこと。

みっつめは、でしゃばらず余計な節介をせず人の先に立たないこと。

この三つを心に抱きながら毎日猫をなでているんです。

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母親のような愛があってこそ、人は人に優しくなれるし思いやりを持つことができる。
愛があるからこそ吾が子のためにギセイになることができる。
愛があるからこそ真の勇気が沸き起こる。まさしく母は強し、女は勇まし。

倹約するということは、モノ、カネ、ココロ、あらゆる面において無駄遣いをしないということ。
出し惜しみ、けちんぼうではない。
使うときは価値ある使い方をする。出し惜しみはしない。
心を込める。
いつも物心共に豊かだからこそ人助けができる。

争わず、控えめで、アシスト、バックアップ、サポート、なんでもや、こんな生き方が良く似合う。

慈悲の心がないのにそれらしく振舞ったり、
財もないのに見栄体裁だけで気前良く振舞ったり、
器量もないに先頭に立とうとしても、
それは中味がないから必死のココロ、いずれ破綻するのが必至のココロ。
ココロのボス。

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【参考文献:白文/書下文/訳】
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天下皆謂。我道大似不肖。夫唯大。故似不肖。
若肖。久矣其細矣夫。我有三寶。持而保之。
一曰。慈。二曰。儉。三曰。不敢爲天下先。
慈故能勇。儉故能廣。不敢爲天下先。故能成器長。
今舎慈且勇。舎儉且廣。舎後且先。死矣。
夫慈。以戰則勝。以守則固。天將救之。以慈衛之。
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天下皆我れを大なるも不肖(ふしょう)に似たりと謂(い)う。
それ唯(ただ)大なり、故に不肖(ふしょう)に似たり。
若(も)し肖ならば、久しいかなその細なるや。
我れに三宝(さんぼう)有り、持(じ)してこれを保つ。
一に曰(いわ)く慈(じ)、二に曰く倹(けん)、三に曰く敢えて天下の先(さき)と為(な)らず。
慈なるが故に能(よ)く勇(ゆう)、倹なるが故に能く広く、敢えて天下の先と為らざるが故に能く器(き)の長(ちょう)を成す。
今慈を舎(す)てて且(まさ)に勇ならんとし、倹を舎てて且に広からんとし、後なるを舎てて且に先ならんとすれば、死せん。
それ慈は、以(も)って戦えば則(すなわ)ち勝ち、以って守れば則ち固し。
天将(まさ)にこれを救わんとし、慈を以ってこれを衛(まも)る。
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世のなかの人々はみな、わたしの無為の道を、
大きくはあるが道らしくないと批評する。
しかし大きければこそ道らしく見えないのであり、
道らしく見えたら、とっくに小さなものとなっていたであろう。

そのわたしの道には三つの宝があり、
大切に守りつづけている。
その一つは「慈」――いつくしみの心であり、
その二つは「倹」――つづまやかさであり、
その三つは世の人の先に立たぬことである。
慈しみの心をもつから真の勇者であることができ、
倹やかであるから広く施すことができ、
世の人の先に立たぬから器量をもつ人のかしらとなることができるのだ。
ところが今、悲しみの心を捨てて勇者たらんとし、
倹やかさを捨てて広く施そうとし、
人後に就くことを止めて先に立とうとすれば、
命をおとすだけである。

いったい、慈しみの心は、
それをもって戦えば戦いに勝ち、
それをもって守れば守りが固く、
天も彼を救おうとして、
慈しみをもって守護してくれる。

※朝日選書:老子(福永光司)より引用
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[老子:第六十七章三寳]
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