ひとりさん通信

ひとりさん通信:第二刊(2014年4月)

更新日:

『ひとりさん通信』が2014年3月に創刊されました。

今月のひとりさんのお話

今回のお話は、「バランスの法則」です。このことを知っていれば、あなたはずっと成功し続けることができます。
大切な「宇宙の法則」なので、よく聞いてくださいね。
数年前に、ある女子のマラソンランナーが、オリンピックで金メダルをとりました。
この子は、すごいがんばって、努力して、金メダルをとったんです。
すると日本中で、彼女のことが話題になりました。
マスコミは「国民的ヒロインだ」とか、「スポーツ界の救世主だ」みたいな報道をして、みんなで彼女の活躍を喜びました。
ここまでは良かったんだけど、その後、彼女に対して、ものすごいバッシングが始まったんです。
彼女の言動を「生意気だ」って言ったり、周囲の人との確執をウワサしたり、
「なんで、ここまでたたかれなきゃいけないの?」っていうぐらい、それはひどいバッシングだったんです。
でも、よく考えてみると…
彼女はただ「マラソンが強かった」っていうだけなんだよね。
「国民的ヒロインだ」とか、「スポーツ界の救世主だ」と言ったのは、本人ではなくて、周りの人なんだよね。
彼女のように、何かのジャンルで活躍して、急に有名になると、自分の実力以上に、周りの人から「すごい!」って思われちゃうことってあるんだよ。
「100のもの」が、150とか200ぐらいに評価されちゃうことってあるんだよね。
そうなっちゃうと、その人の「本当の実力」のところまで戻そうとする力が働くんだよ。
これを「バランスの法則」というんだよ。
振り子がギリギリまで振りすぎちゃうと、元の場所に戻るような感じに似ているんだよね。
人って急に出世すると、「ねたみ」や「そねみ」があるっていうよね。
でも、「ねたみ」や「そねみ」じゃなくて、本当は「バランスの法則」が働いているだけなんだよ。
この「バランスの法則」を知っていれば、何かで成功して、うんと周囲からほめられたときに、
「あ、このままだと『バランスの法則」が働いて、元へ戻そうとする力(非難やバッシングなど)が働くな…」と気付くことができるよね。
では、どうしたら、非難やバッシングを回避できるかを教えます。
周りの人に、「すごいですね!」って言われたら、
「いえいえ、たまたま、うまくいっただけなんですよ」
「みなさんのおかげなんです」
「なんか、ただ一生懸命やっていたら、うまく行って…。ホント、運が良かったんです」とか、そういうふうに言うの。
そういうときに、「私も、いろいろ、がんぱったんです」なんて、ホントのことでも、言っちゃダメだよ(笑)
あくまでも「周囲のおかげです」とか「運がよかったんです」と言っておいて、急激に持ち上げようとする力をなだめて、バランスを自分でとるんだよ。
ちなみに、ひとりさんが納税日本一になったときも、おかげさまでそんなにバッシングを受けないで済んだんだよね。
その時に「本を出さないか」っていう話が来て、『変な人の書いた成功法則」っていう本を書いたんだけど…。
なぜ、「変な人~」っていうタイトルをつけたかというと…
例えば、オレは中学校しか出ていないけど、世間の皆さんは高校に行ったり、大学に行ったりしているんだよね。
中には、したくもない勉強を一生懸命やって、高校や大学にがんばって入った人もいると思う。
そういう人の中で、オレみたいな中学しか行っていない珍しい人が納税日本一になっちゃったりすると、
「なんだ、アイツ!」って、おもしろくないと思う人も当然いるよね。
そういうときに、
「いや、皆さんの考え方の方が正しくて、こちらの方が『変』なんです」っていうスタンスでいると、
「そうか、変わった人なんだな…」って、そんなに反感は買わなくて済むんだよ。
みんなも、何かで突然、成功したら、言動に工夫して、自分で自分のバランスをとらなきゃだめだよ。
高いところに行けたからって、ついはしゃいじゃって、飛んだり跳ねたりしていると、落っこちたらケガするからね。
ほめられすぎたら、
「これは、実力じゃなくて、『運』ですから。1回ぐらいうまくいったぐらいで、あんまりほめないでくださいね」っていう感じで言っておくといいよね。
そうやって、「私は、そんなに、たいした者ではありません」と相手に言って、バランスをとっておくことが、実は、成功を続けるコツなんです。
今回の話は以上です。ありがとうございました。

「ひとりさんの詩」には、こんな意味がある!

ひとりさんが詩の意味を解説します
四月の詩
好きな人と
どうでもいい人
さいとうひとり

好き嫌いのグレーゾーン

このまえ、お弟子さんの舛岡はなゑさんから、すごくいい話を聞いたので、みんなにも教えたいと思います。
はなゑさんが、
「普通は『好きな人』と『嫌いな人」がいるよね。でも、私の場合はね、「好きな人」と『どうでもいい人」しかいないんだ」って言うんです。
それを聞いて、ひとりさんは「はなゑさん、いいこと言うなあ!」と思ったんです。

なぜかと言うと…、私のお弟子さんになるような人は、みんな「いい人」だから、たとえ「嫌いな人」がいても、「好きにならなきやいけない」って思って、一生懸命努力するんだよね。
でも、「嫌いな人」を好きになることって、なかなかできないんです。
また、「嫌われる人」って、「嫌われるようなこと」をするから、嫌われるんだよね。
それで、そういう人を、いくら好きになろうとしても、また嫌がらせをされて、イヤな思いをしたり、傷つくことになるんです。
そういうときに、「この人は『どうでもいい人」だから、何を言われても気にならないんだ…」って思うと、気持ちがふっとラクになって、乗り越えられるんだよね。
不思議なものなんだけど…、「好き」という分類と、「嫌い」という分類の間に、どうでもいい」っていう『グレーゾーン』があると、すごく助かるんです。
なぜかというと、「あの人、嫌いだ!」と思っていると、「嫌い」っていうトゲトゲした波動を、常に出していることになります。
でも、「どうでもいいや」と思っていると、トゲトゲした波動は出さずに済みます。
だから、「どうでもいいや」と思うだけで、自分も、周りの人も、おだやかでいられるんだよね。
この話をいろんなところでしたら、
「ひとりさんの『どうでもいい人』の話を聞いて、助かりました!」
「心がラクになりました!」っていう人が、意外といっぱいいました。
だから、これはいい機会だと思って、「ひとりさん通信」を読んでくれている人にも、ぜひ教えたいと思いました。
ありがとうございました。

ひとりさんについていきたい!

ひとりさんの考え方に賛同し、楽しく学ぶ「ひとりさん仲間」を紹介します!
☆特約店さんの体験談は、「その人の想い」を紹介したくてのせたものです。
特約店を募集するためにのせているわけではありません。
☆体験談の中に「神さま」という言葉が出てきますが、宗教とは全く関係ありません。

「お母さんを守りぬくと覚悟を決めなよ」
そのひと言で、父に殴られ続けた母を救出することができた!
桑原健介(くわはらけんすけ)さん
福岡県・小学校教諭

殴られ、水をかけられ、夜中に買い物に行かされる母
母のことを語ると、つい涙がこぼれそうになります。
僕の母は、いま73歳になります。
数ケ月前に、ようやく父と離婚して、念願の「ひとり暮らし」を始めました。
ここまでくるには、母にとっても、僕にとっても、大きな勇気と決断がいることでした。
しかし、一人さんが僕にかけてくれた、「健ちゃん、お母さんを守りぬくと覚悟をきめな」というひと言で、腹がすわり、母を救出することができたのです。
母に対する父の暴力は、僕が、物心がつく前から始まっていたようです。
ちょっと気に入らないことがあると、母を平手打ちしたり、突き飛ばしたり…。
そんなことは日常茶飯事です。
食事のときに、好きなおかずが用意されていないからといって、母が作った料理をすべてテーブルから床に落とし、氷の入った冷たいコップの水を、母の頭からかけたことがありました。
また、僕のことで気に障ることがあると、「オマエのしつけが悪いからだ」と、母を壁に押しやり、逃げられないようにして、体中にアザができるまで母を蹴飛ばすのです。
ある時、父の好物だったお菓子を、母が買い忘れたことがありました。
夜中、そのことに気付いた父は、「いますぐ買ってこい!」と母を買い物に行かせたのです。
当時、僕たち家族が住んでいたのは、山の中の田舎町でした。
母は、数キロ離れた隣町のコンビニまで、父の好物のお菓子を買うためだけに行かされることになったのです。
母は、反抗すると、ますますエスカレートする父の暴力が怖いので、まるで奴隷のように父の命令を聞くしかありません。
まっくら闇の中、トボトボ歩いて買い物に行かされる母の後姿を、小学生だった僕は、窓からずっと見守っていました。
そして、声をたてないように、歯を食いしばって泣きました。
「少しでも早く大人になりたい。母を父から守ってやるんだ!」。
僕は幼心に、胸に何度もそう誓ったのです。
いっこくも早く母を救いたい!
僕は自分の家に帰るのがイヤでした。
毎晩のように、母が死ぬほどぶちのめされたり、ののしられたりするのを見たくなかったからです。
学校にいるときだけが、唯一、心がほっとする時間でした。
学校の友だちとしゃべっているときだけは、「明るくおどける楽しい健ちゃん」でいることができました。
いつしか僕の中には、「自分のように傷ついた子どもの心を癒して、笑顔にさせる先生になりたい!」という夢が芽生えました。
教師になって、生活を安定させて、いっこくも早く、母を地獄のような生活から救い出す…。
これが僕の目標となったのです。
僕はニガテだった勉強にも積極的に取り組むようになり、大学では教職をとって、小学校教員の採用試験に合格することができました。
母に対する父の暴力はあいかわらず続いていましたが、母は僕が教師になれたことを、とても喜んでくれました。
そのころ、母はめったに笑うことがありませんでした。
ずっと父から殴られたり怒鳴られたりしたので、感情がなくなり、一日の大半をうつろな目で過ごしていました。
母は、自分のために買い物をすることも、外出をすることも、友人と会うことも許されていませんでした。
実家のお金の管理はすべて父が握っていて、母は食料を買いにいくときに、千円札を1枚渡されるのです。
母は自分のために、新しいブラウス一枚買ったことがありませんでした。
小柄な母は、僕が高校時代に着ていたチェックのシャツの袖を折り返し、大事そうに何年も着ていました。
そんな母の姿を見るたびに、僕の胸は、はりさけそうになるのです。
世間の情報と一切遮断され、感情もなくなり、どんどん老けこんでいく母。
母の人生が終わる前に、「ああ、幸せだ」と思える暮らしを、いっこくも早くさせてあげたい。
僕は母に「もう、お父さんとは離婚しなよ…」と何度も勧めました。
しかし、母から返ってきた言葉は意外なものでした。
「私がいなくなったら、お父さんは生きていけないから」
母は「私も、離婚したいけれど…。私もこんな歳になってしまったし、モノを知らないから、ひとりでどう生きていっていいかわからない。
それに、私がいなくなったら、お父さんま生きていけないから…」
と、そんなことを言うのです。
あれだけ殴られたり、ののしられたりしているのに、まだ父のことを思っている母が歯がゆく、母本人が離婚を踏みとどまっている以上、息子としてどうしたらいいのか迷いました。
ちょうどそのころ、僕は、一人さんの教えと出逢いました。
僕が通勤している小学校の近くに、迎理恵さんがやっている特約店「たこのわ」さんがあり、仕事の帰りに、頻繁にお店に立ち寄るようになりました。
迎さんに母のことを話すと、とても親身になって相談にのってくれました。
そして、「こんど東京の新小岩にある『一人さんファンの集まるお店』に遊びに行くんだけど…、健ちゃんも一緒に行ってみない?もしかしたら、一人さんのお話が、直接、聞けるかもしれないよ」と誘ってくれたのです。
この迎さんのひと言で、僕と母の運命は、大きく勤くことになるのです。
「お母さんの心が明るく、軽くなることをたくさん言ってあげな」
僕が新小岩の「一人さんファンの集まるお店」に遊びに行った日、幸運にも、一人さんがお店にいらっしゃいました。
僕と母の事情を、迎さんから聞いていたようで、一人さんは僕に逢うなり、こんな話をしてくれたのです。
「健ちゃん、お父さんとお母さんのことは『夫婦のこと』だから、離婚するかどうかは、お母さんの判断にまかせたらどうだろう。健ちゃんは、お母さんの心が明るく、軽くなるようなことをたくさん言ってあげな。『お母さんは強いね。あんなにお父さんに殴られても、まだお父さんのことを思えるんだから。なかなかできることじゃないよ…』ってね。いっぱい褒めてあげて、お母さんが正しい判断ができるように、縮こまって固くなっている心をほぐしてあげるんだよ」。
その日から、僕は一人さんからいただいたアドバイスどおり、母のことを褒め続けました。
「お母さんはえらいね!」
「お母さんは強いね!」
「なかなか、できないことだよ」…。
何度も何度もそんな言葉をかけているうちに、無表情だった母の顔に、少しずつ笑みが広がっていきました。
うつろだった目には光が差すようになり、なんともいえない無邪気な笑顔でニコッと笑ってくれることもありました。
そして、ある日、母はきっぱりした口調で、こう言ったのです。
「私、この家を出ていくわ。お父さんとは離婚します」。
「健ちゃん、いまこそ、お母さんを全力で守るんだよ!」
母が離婚を□にした後、父の荒れようは尋常ではありませんでした。
「オマエのような世間知らずのババアが、ひとりで生きていけるものか!」と騒ぎ立てたかと思うと、急に『猫なで声』になって「いままでオレが悪かった。もう改心するから、出ていくなんて言わないでくれ」と母に懇願したりします。
狂気のように騒ぐ父から、母の身の安全を確保するために、ひとまず、僕のアパートに母を非難させました。
すると、ある日、僕の職場に、父から電話がかかってきました。
受話器の向こうでは、父が虫の鳴くような声で、
「オレは首をつって自殺するから。いまからロープを買いに行くんだと、母さんに伝えてくれ…」などと言うのです。
このひと言には、さすがの僕も震えが止まらず、心臓がドクンドクン…と音をたてて鳴りました。
「いったいオレはどうしたらいいんだろう…」。
父にまさかのことがあったら…。
ひょっとして、母を父の元へ戻した方がいいんじゃないか…。
心の中は迷いでいっぱいになりました。
すると、なんと神さまの使いであるかのように、一人さんのお弟子さんのみっちゃん先生から、タイミングよく電話がかかってきたのです。
「健ちゃん、お母さんの様子はどう?」。
僕は手短に事情を話すと、電話口に一人さんが出てくださいました。
そして、僕の心の芯に届くような声で、こんな話をしてくれたのです。
「健ちゃんは、殴っているお父さんと、殴られているお母さんのどちらの味方をするんだい?いまこそ、お母さんを全力で守るんだよ。お父さんが何を言ってきても、お母さんを守り抜くと覚悟を決めな。お父さんの、名演技・に心をゆさぶられて、お母さんをまた地獄のような生活に戻しちゃいけないよ。万が一、何かあったとしても、それはお父さんが選択する人生なんだ。健ちゃんのせいではないんだよ」。
僕は胸がいっぱいになりました。
一人さんのこのひと言で、僕の腹がすわりました。
「一人さん、僕、何があっても母を守り抜きます!」。
僕の脳裏には、小学生の時に見た、夜道をトボトボ歩く母の後姿が浮かんできました。
あのときの決意を、大人の男になったいま、ようやく果たすときがきたのです。
母の青春は、いま始まったばかり!
父の「おどし」は、それからもたびたびありました。
しかし、僕はそれに動じず、びくともしませんでした。
そして、母が再出発できるように、住むところを見つけ、電車にもバスにも乗ったことがない母に、切符の買い方や乗り換えの方法をひとつひとつ教えていきました。
いま、母は自分ひとりで電車に乗り、迎さんのお店「たこのわ」さんに、頻繁に遊びに行っているようです。
ブラウス一枚買ったことがなく、化粧もしたことがない母が、迎さんにメイクの方法を教わり、さくら色の頬紅をつけてお店にくるようになったのは、息子の僕もびっくりです(笑)
最近、母は「一人さん仲間」とも知り合い、初めて「親友」と呼べる人ができた様子。
「私の青春は、いま始まったばかりなの!」とジョークを言って、笑えるようにもなりました。
父にさんざん殴られ、蹴とばされ、いつもアザだらけで腫れあがっていた母の顔。
その母の顔が、いまは毎日、興奮とワクワクで、さくら色に上気しています。
いまの母の笑顔があるのも、「お母さんを守り抜くと覚悟を決めな」と教えてくれた一人さんのおかげです。
母の幸せが永遠に続くよう、僕は覚悟を決めて、これからも母を全力でサポートしていきます。

「ハンディのある子は、やさしいお母さんを選んでくるんだよ」
一人さんの言葉に、あたたかい涙が沸き上がってきた!

神さまがいるのなら
娘が失明した理由を
聞いてみたかった

私には、三十代の娘がいます。
娘は生まれてすぐに「弱視」だと診断されました。
しかし、娘はわずかな視力だと感じさせないほど、何事にも積極的に取り組む、しっかりした、やさしい子に成長してくれました。
音楽が大好きで、高校から始めたトロンボーンの演奏では「加奈子ちゃん(娘の名)の演奏は、聴いている人の胸に染み入るような音だね」と多くの方から褒めていただくこともあり、プロのトロンボーン奏者を目指して、毎日、全力で練習していました。
しかし、娘が大学生のときに、徐々に視力が弱まっていき、ついには全盲に近い状態になりました。
娘はそのときも、私たち家族の前で、愚痴や泣き言をいっさい言いませんでした。
「お母さん、私ね、目が見えないようになってから、目には見えない大切なものが、ハッキリ『心の目』で見えるようになったの」。
そんなふうに笑顔で私に言うのです。
そんな娘を見て、「えらい子だなあ!すごいことを言うなあ」と我が娘ながら感心しました。
しかし、その反面、母親の私自身は、
「なぜ、あんなにいい子から、神さまは光を奪ったのだろう?」
「母親である私が、前世で悪いことでもして、その因果なのかしら?」
と、なかなか腑に落ちることができませんでした。
そして、「もし、この世に神さまがいるのなら、娘が失明した理由を教えてほしい」という思いで、やるせなくなることもありました。
その数年後、私が抱えていた「神さまへの質問」を、まさか一人さんが答えてくれるとは思ってもみませんでした。
盲導犬の「ナンシー」が
一人さんのそばから離れない!

全盲になった娘を、私は自分の人生をかけて支えていこうと思いました。
ところが、娘の方は、親から自立することをしっかり考えていたようです。
プロのトロンボーン奏者として活動し、娘の心に寄り添ってくれる盲導犬の「ナンシー」を迎え、練習やコンサートに積極的に出かけるようになりました。
ハンディを感じさせず、イキイキと出かける娘を見ていて、母親の私もずいぶん触発されました。
「私も何か仕事を始めたい…」と思うようになったころ、絶妙なタイミングで、一人さんの教えと商品に出逢ったのです。
「ぜひ、まるかんの特約店になりたい!」と、私は神奈川県でお店をスタートさせました。
ある日、東京の新小岩の「一人さんファンの集まるお店」に、私は娘と盲導犬の「ナンシー」を連れて、遊びに行きました。
その日は、ラッキーなことに一人さんがお店にいらして、大勢のお客さんの前で、お話をしていました。
すると、驚くようなことが起こりました。
私たちのそばにいた「ナンシー」が、急に立ち上がったかと思うと、一人さんの方ヘスーッと歩き出しました。
そして、一人さんの隣に行くと、ちょこんと座りこんでしまったのです。
通常、ナンシーは、私や娘のそばから絶対に離れませんから、これにはびっくりしました。
一人さんはナンシーをやさしくなでながら、「よしよし、いい子だねえ」と声をかけてくださっています。
ナンシーは何か言いたげな表情で、じーっと一人さんを見上げています。
私はあわてて、ナンシーを席に戻そうと、一人さんのそばまで行きました。
すると、思いもかけず、一人さんはこんな言葉を私にかけてくれたのです。
「目が見えない人生」を、
生まれる前に選んできた!

「容子ちゃんの娘さんは、すごい人だよね。だって、「目が見えない人生」を、自分で選んできたんだから…」。
私は、一人さんの言葉がすぐに理解できずに、きょとんとした顔をしてしまいました。
すると、一人さんは私に微笑みかけながら、こんな話をしてくれたのです。
「容子ちゃん、信じられないかもしれないけれど…。実は人間って、何回も何回も、生まれ変わっているんだよ。それで、生まれてくる前に、『今回はこういう人生にして、こんな修行をしてこよう…』って、自分の人生のストーリーを全部決めてくるんだよ。だから、娘さんも、今回の人生では、『目が見えない人生』を自分で選んできたんだよ。『目が見えない』という修行は、かなり高度な修行だから、よほど魂が成長した人にしかできない修行だよ。きっと容子ちゃんの娘さんは、魂のステージが、とても高い人なんだよ」。
私は一人さんの言葉を聞きながら、娘の視力がなくなっていった日々のことを思い出していました。
「大切なものが、『心の目』で見えるようになったの」。
愚痴や泣き言ひとつ言わず、笑顔で私にそう語った娘。
強がるふうでもなく、私を慰めるふうでもなく、娘は心底納得した感じで、しみじみとそう言ったのです。
一人さんの言うとおり、娘は自分で『目の見えない人生』を選んできたんだ…。
すごい修行を選んだ子が、私の娘になったんだなあ…。
私は、いままで胸の中でくすぶっていたものが、パアーッと晴れていくような気がしました。
「面倒見のいい、やさしい
お母さんを選んでくるんだよ」

一人さんはナンシーをやさしくなでながら、話を続けました。
「それとね、子どもは生まれる前に、親も自分で選んでくるんだよ。ハンディがある人生を選ぶ人は、面倒見のいい、やさしいお母さんを選んで生まれてくるの。容子ちゃんは、すごく面倒見がよくて、やさしい人だよね。だから、娘さんは容子ちゃんをお母さんに選んだのかもしれないね」。
一人さんの言葉を聞いて、私の胸に、あたたかい涙が沸き上がってきました。
「私を選んでくれて、ありがとう!私のところに生まれてくれて、ありがとう!」。
娘にそんな思いを伝えたくていっぱいになりました。
涙のたまった目でナンシーの方を見ると、一人さんになでてもらいながら、なんとも嬉しそうな表情で、シッポを大きくふっています。
きっとナンシーにはわかっていたのでしょう。
一人さんが私にとって、かけがえのない大切な「答え」をくれる人だということを…。
すばらしい修行を、自ら選んできた娘。
そして、私を母に選んでくれた娘。
それがわかったのも、すべては一人さんのおかげです。
この先、何が起きても、自分で選んだ『すばらしい人生』を、私は最高に楽しみたいと思っています。

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